私は昨年末に、ある組織の機関紙に、トランプ後の国際情勢と日本の取るべき外交というテーマで寄稿を頼まれた。
その要旨はこうだ。
トランプの米国がどのような米国になるか世界が注視している。しかし、それを議論してもあまり意味はない。なぜならば誰もわからないからだ。本人自身もわからないのではないか。はっきりしている事は、世界がますます不透明、不安定になるということだ。ここで重要な事は、トランプの登場によって世界が混乱するのではないということだ。世界が混乱したからこそトランプが登場し、そのトランプが世界を更に混乱させるということだ。
世界の混乱の原因は、米国発の行き過ぎた金融資本主義によって極端な格差拡大が世界中に広がり、米国発の行き過ぎた軍事覇権主義が世界をこれまでにない対立と軍拡に走らせたことだ。トランプ大統領がどのような政策をとろうとも、米国は自らの矛盾を解決できず、だからといって米国に変わる正しい指導国が出てくるはずがなく、世界は更なる混乱に苦しむことになる。
今こそ日本は日米同盟最優先しかないという固定観念から自立し、憲法9条の精神を唯一の頼りにして、人権重視と共存の外交に舵を切る時だ。トランプの登場はその絶好のチャンス到来と前向きに考えるべきだ。
1月4日の京都新聞がニューヨーク発共同の記事として、米コロンビア大学のジェラルド・カーティス教授のインタビュー記事を掲載していた。
そのテーマは、まさしく私の寄稿のテーマと同じ「トランプ外交と日本」だ。
その冒頭で彼はこう語っている。
「日本は、もはや日米関係が強固だから日本は安全と考えるべきではない。米国が日本のためにならない方向に動くかもしれない。これまでとは違うやり方で行くというトランプ氏の決意を過小評価してはいけない」と。
「(これからの)日米関係を見る際、米国の中国、ロシア、アジア、北朝鮮などへの政策を幅広く見て、それが日本の国益にどう影響するか、日本はどう行動するかを考えるべきだ」と。
その通りだ。
あのカーティス教授がここまで言うようになったのだ。
しかし、そのカーティス教授でさえも、日本の取るべき外交を具体的に語っていない。いや、語れない。
年が明け、世界は動き出した。
それを見るにつけ、年末に書いた私の思いは強まる一方だ。
トルコとイラクで立て続けにテロが起きた。
米ロ中の軍事対立は強まる一方だ。
そのような中で、トランプ大統領との首脳会談を急ぎ、バカの一つのように日米同盟の強化しか語れない安倍首相は、自ら日本の可能性を閉ざしているようなものだ。
米ロ中の軍事対立が表面化すれば真っ先に犠牲になるのは日本だ。
万が一、米ロ中が軍事的に手を結ぶようなことになれば日本の出番はない。
トランプ後の日本外交は、一人の安倍首相、安倍政権だけの問題ではない。
どのような政権が成ろうとも、どのような政治家がこの国の指導者に成ろうとも、日米同盟最優先の外交を続ける限り日本に未来はない。
今こそ「新党憲法9条」が唱える外交の出番である。
アメリカ第一というからにはトランプの頭の中には日本を守ってやるという考えは多分ないのだろう。安全保障体制は残るがこれ、あてにできない。ことばの感触はよいように言っているが、代理戦争の準備をやらされているようにしか思えない。捨て駒、兵器の実験場になってはならない。
アメリカに忠義をみせる、価値観を共有する、私にははっきりとは分からないが何かがおかしいと思う。なぜ日本は和平のテーブルを用意できないのだろうか。紛争の解決ならばそこは東京というブランドはだめなのか。不戦の国というレッテルは神聖にして侵すべからざる国にはなりえないのだろうか。対米従属のやめ方の手順を考えてみたい。