何度も書いてきたが、今度の国会で政治家が政治家としての責務をかけて渾身の力を振り絞って真剣に議論すべきは、統一教会の被害者救済法案でも、相次ぐ閣僚の政治資金規正法違反の追及でもない。
政府が決定する防衛三文書の改訂、つまり、これまでの日本の防衛政策を根本的に変える事になる新国家安全保障戦略の是非、当否である。
岸田首相みずから防衛費の対GNP比率2%目標を命じ、中国敵視を明記する、この異常なまでの新国家安保戦略は、戦後の日本の防衛政策を根本的に変えるものだ。
すなわち、まがりなりにも、憲法9条と日米安保の矛盾のバランスを保ってきた戦後の日本の防衛政策を、憲法9条を捨て去り、圧倒的に日米安保優先の政策に変える、亡国の新国家安保戦略なのである。
それが、よりによって、ハト派の派閥を引き継いだ岸田首相の手で、そしていまや国民の支持を完全に失った岸田首相の手で、まもなく決められようとしているのだ。
それを、野党もメディアも阻止しようせず、国民の多くも容認している。
なぜか。
それは、中国、ロシア、北朝鮮といった、いわゆる専制国家、その中でも、圧倒的な力を誇示するようになった習近平の中国の軍事的脅威から日本を守らなければいけないからだ。
そのためには、専制主義とは対極的な、開かれた、自由で民主主義という価値観を共有する米国、しかも中国以上に強力な軍事力を持つ米国の側につき、その米軍の拡大抑止力によって日本を守る事が不可欠だからだ。
そして、守ってもらうためには、今度こそ日本も応分の軍事力を持って、「守り、守られる」真のイコールパートナーになるしかない、と考えるからだ。
これが新国家安保戦略の意図するところである。
100歩譲って、それらすべてが正しいとしよう。
しかし、その主張の大前提になる、「圧倒的に世界一強い軍事力を誇る米国」が、実は中国の軍事力に勝てなくなりつつあるとすればどうか。
そうなれば議論のすべてが白紙になる。
その意味で、ここでは、「米国と中国の軍事力の比較」という一点に絞って考えたい。
もし米国が中国と戦争をして勝てないなら、日本は米国に守ってもらうどころか、米国と心中する事になるからだ。
果たして米国は中国と戦って軍事的に勝てるのか。
およそこれまでの国際政治の常識では考えられないこの究極な問いかけに、見事に答えてくれたのが、きょう12月1日の毎日新聞に掲載された会川晴之専門編集委員の「木語」という論評である。
米国の首都ワシントンの空の玄関であるダレス空港と都心の40キロを結ぶ地下鉄「シルバーライン」が先月11月15日に、予定より大幅に遅れて開業した。
そのことを、NASA(米航空宇宙局)長官をつとめ、トランプ前政権の国防次官を務めたグリフィン氏が、「アポロ計画は発表から8年で月に人類を送り届けた。だが、今は10年かけても空港までの地下鉄が造れない」と嘆いたという。
このエピソードを冒頭に紹介して始まった会川記者の論評の要旨はこうだ。
すなわち、冷戦後、唯一の超大国であり続けた米国は2001年9月の同時多発テロ事件以降は対テロ戦争に没頭し、技術開発を怠った。
そのツケは予想以上に大きく、いまや米国の独断場であったハイテク(IT)でも抜かれる分野が出てきた。
それが軍事力に反映し、米国が先行していた音速の5倍(マッハ5)以上で飛ぶ最新鋭の超音速ミサイルを中国は既に実用化したのに、米国はいまだ実験段階にとどまっている。
しかも中国だけではない。
いまや中国と結束を固めつつあるロシア、北朝鮮、そしてイランまでもが、米国より早いスピードで武器開発を進めている。
まさに軍事強化の大競争時代が到来したのだ。
スピードの勝負が勝敗の鍵を握る時代に突入したのだ。
以上が、会川氏の「木語」の要旨である。
これを要するに、もはや米国は単独では軍事力で中国に勝てなくなった。
その事を、グリフィン氏だけでなく多くの米軍幹部が認めるようになった。
だからこそ、同盟国を増やし、中国と軍事力で対抗しようとしているのだ。
しかも、同盟国の結束と武器開発のスピードでも、米国は中国に及ばない。
もし、会川記者の論評が正しいとすれば、日本の新国家安保戦略は、その根本の考え方において、間違っているどころか有害の元凶になるのだ。
財政負担を肩代わりさせられる上に、勝てそうもない戦争の最前線に立たされる。
戦争が始まれば必ず最後は停戦もしくは敗戦の協議が始まり、その時は米中が自らの利害を優先し、犠牲を払った日本の利益は後回しされる。
それが、新国家安保戦略のもたらす結果だ。
会川記者がここまで教えてくれているのに、なぜ政治家たちは新国家安保戦略の是非を国会で真剣に討論しないのか。
私が繰り返し警鐘を鳴らすのは、新国家安保戦略の誤りがあまりにも明らかで、しかもその誤りがもたらす結果が、予算の無駄遣いの上に、国民が受ける被害があまりにも深刻だと思うからである。
その事を政治家たちが国会で真剣に論議して、国民に知らせるべきである(了)
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