送られて来た情報月刊誌「選択」最新号(7月号)に興味深い記事を見つけたので紹介したい。
その記事は、石井妙子というノンフィクション作家の「をんな千一夜」という連載記事だ。
どこかで聞いた事がある名前だと思ったら、小池百合子の悪口を書いて売れっ子になった作家だときづいた。
その石井妙子が連載40回目に当たる今回の記事で、高須久子という女囚と吉田松陰との獄中での交流について書いている。
私の関心は高須久子にはない。
吉田松陰と高須久子の交流にも関心はない。
その記事で私が注目したのは吉田松陰についてだ。
吉田松陰は浦賀に来た黒船に驚嘆し、西洋国をこの目で見たいと欲し、アメリカに連れて行ってくれとペリーに直訴しようと小舟で接近したが、断られたという。
当時密航の罪は重く、吉田松陰は江戸に送られ伝馬町の監獄に入れられたがアメリカ側の嘆願もあり斬首を免れ、長州に返された。
その後吉田松陰は松下村塾を開き、明治維新や明治政府の主要人物である高杉晋作や伊藤博文、山縣有朋らを輩出する。
私が注目したのは、その記事の中で、岸信介が敬愛していた曽祖父の佐藤信寛と吉田松陰に交流があったことが書かれていたことだ。
そのことを岸信介は自叙伝で誇らしげに語っているということだ。
岸信介と言えばA級戦犯で巣鴨に投獄されたが米国に助けられ、その後首相になって米ソ冷戦のさなかに米国のアジアの橋頭保の役を果たすことになる。
吉田松陰は米国に助けられ死罪をまぬがれ、その後松下村塾をつくって明治政府の要人を育成する。
対米従属の原点は吉田松陰にあり、その吉田松陰と交流のあった曽祖父を引き継いだ岸信介が日米安保を改定して対米従属の日本をつくった。
その孫である安倍晋三が、敬愛する人物として吉田松陰の名をあげて対米従属を完成させようとしている。
そのことを私は石井妙子の記事で知ったのである。
わらってしまうのは石井妙子がこう書いているところだ。
「安倍晋三総理は尊敬する人物として『吉田松陰』の名を挙げる。だが、松陰の思想や生き方のどこに惹かれているのかは、よくわからない。おそらくは単に郷土の偉人として名を挙げているのだろう。あるいは自分の祖先も松陰の教えに感化されたひとりであり、思想的血脈を自分も受け継いでいると考えているのだろうか・・・」
尊敬する祖父の岸信介が安倍晋三の前で吉田松陰の名前を挙げていたのだろう。
それだけで安倍首相は吉田松陰を尊敬するようになったのだ。
そう思いたい。
獄中の中にあってもアジア侵略を唱えていた、そんな吉田松陰の思想に安倍首相が心酔して吉田松陰を尊敬する、何かにつけて不勉強な安倍首相だから、そんなことはないと思うが、そうでないことを祈るばかりだ(了)
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