私はいまでも陸上イージスの白紙撤回の背景にある本当の理由についてわからない。
たとえば、昨日の朝日の時々刻々という特集記事を読むと、河野防衛相の先走りのように書かれているし、きょうの共同通信の配信によると、米国で波紋が起きていると報じられている。
必ずしも周到に準備された白紙撤回ではなかったのだ。
ひょっとして河野防衛相は、ブースター落下の危険性を聞かされて改修を命じ、そのためにはさらなる巨額予算が必要になることを聞いて、安倍首相と菅官房長官の了解さえ得られれば、独断で白紙撤回できると考えたのかもしれない。
つまり、6月15日の河野防衛相の発表を額面通り受け止めるべきはないのかという思いが残る。
私がそう思う理由の一つが、25日の外国特派員協会の質疑で見せた涙だ。
河野防衛相は自民党の説明会で涙を流した。
その理由は仲間の政治家を落選させた謝罪の時に見せた涙らしいが、外国特派員の質疑では、まさかそんな理由で泣くはずはない。
おそらく、これからの日本の防衛計画について外国特派員に聞かれ、日本の防衛計画の根本的見直しのきっかけをつくったという自らの英断と、その先に待ち受ける米国との安保協議と言う困難な作業が頭によぎり、感極まって涙したのではないか。
ナルシスト河野太郎というわけだ。
その真偽はどうであれ、はっきりしている事がある。
それは、陸上イージスの白紙撤回によって日本の防衛計画が敵基地攻撃を可能にするものに一気に進むことだ。
そして日本の防衛計画はすべて米国の了解なくしてはあり得ないから、米国の近代兵器のさらなる導入と予算負担の増額は必至であるということだ。
しかも来年度の予算要求に間に合わせなければ米国が起こるから、あらたな防衛計画の大綱は9月末までに大急ぎで決まるといいうことだ。
とんでもない乱暴な政策決定がここ三カ月ほどの間で行われるのだ。
当然のことながら野党は反発する。
ところが、今度ばかりは野党は守勢に立たされる。
なぜならば、これから始まる防衛論戦は、単なる抽象論ではなく、中国や北朝鮮との戦争にどう備えるかという防衛政策そのものに直結する論争になるからだ。
もはや専守防衛の逸脱だ、憲法9条違反だ、などという抽象論、原則論では、相手にされないのだ。
目の前に迫った中国の尖閣占領政策や北朝鮮の核の脅威から、どうやったら日本の領土と国民の命を守るか、そのためにはますます日米同盟を強化するしかないだろう、それに反対するなら、それに代わる具体的な防衛政策を提示してみろという事になる。
そして、これに対してまともな防衛論争ができるのは共産党と社民党だけだが、社民党はもはや無きに等しい。
そして、日本共産党では、いくら正論を並べてもそれは共産党の考えだろううと一蹴され、国民もついてこない。
しかもである。
いまや日本共産党は連立政権入りを目指して日米安保反対を棚上げしてしまった。
おまけに、今では自民党も顔負けするほど中国や北朝鮮を批判している。
これでは安倍自民党の外交・安保政策に代る政策を提示できるはずがない。
このままいけば、戦後75年間維持されて来た専守防衛の防衛政策が完全に否定され、米国とともに中国、北朝鮮と戦う防衛政策が出来上がるだろう。
いまこそ保守の中から、日米同盟優先から東アジア集団安保優先、つまり細川政権の時に浮上し、そしてあっと言う間に米国に潰された、あの樋口レポートを再現する勢力が出て来なくてはいけないのだ。
樋口レポートの令和版こそ新党憲法9条構想なのである。
それを言い出す政治家が出て来なければ、令和の時代は平成の時代よりはるかに悪くなる(了)
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