黒川東京高検検事長が検事総長になり損ねたあの黒川マージャン賭博問題は、大騒ぎしたわりにはあっけなく終わり、しかも黒川氏の辞職と共にすべてが終ってしまった。
なぜか。
それは「三方一両損(得)」だったからだ。
この三方一両損(得)ということばの由来は、落語や講談に出てくる大岡越前の逸話から来ているという。
すなわち、三両を落とした人と、それを拾った人、両方がお金を自分はいらないといってもめているのを、奉行の大岡越前が、自分の懐から一両と出して、四両にして両人に二両ずつ分け与えた。三両を落とした人は二両返ってきたから一両損。三両拾った人は二両しか残らないから一両損。大岡は一両出して一両損、というわけだ。
しかし、損をしながら皆が納得して終わったのだから結果的には皆が得をしたことになるから、三方一両得という使われ方をする。
まさしく黒川人事騒動はこの言葉通りに終わったと思う。
だから一件落着だったのだ。
黒川氏の検事総長にこだわったのは安倍首相よりも菅官房長官であり、さらに言えば官邸官僚だった。
安倍首相としてはそれを認めた手前、言いわけし続けてきたがここまで自分が悪者になってはたまらなかった。
黒川氏のマージャン賭博発覚で決着ついてよかったと思っているに違いない。
その一方で検察庁は、そもそも検察の正義などどこにもなく、権力と癒着した検察と批判されて来たのに、今度の事件で官邸の人事介入を許さなかった正義の検察庁になった。
期待が大きくなってこれからが大変だが、人事権を官邸から取り戻せたのだからうまくいったのだ。
そして野党は安倍首相の支持率を落とせた。それで十分なのだ。
そもそも賭けマージャンだけなら、ここまで大きな問題にならなかった。コロナ自粛の中で遊んでいたから非難が倍増したのだ。
きょうの毎日新聞が質疑応答のコラム「なるほどり」で書いている。
賭けマージャンは賭博罪に当たるが、しかし、賭けマージャンで刑事罰を受けた例は少ないと。なぜなら賭けマージャンは社会では広く行われているからだと。
まさしく一罰百戒だったのだ。
だから懲戒免職にして退職金をゼロにしろ、などという動きにはならなかったのだ。それでは、あまりにも酷だからだ。
そして、メディアもこの黒川マージャン賭博については追及しなかった。
記者たちが同罪だったからだ。
そして彼らは同業者をこれ以上追及できない。
6月11日の東京新聞紙上で、田原牧特報部長が一つのエピソードを書いている。
それは朝日ジャーナル編集長を務めた故伊藤正孝記者のエピソードだ。
談合問題を追及していた朝日の仲間の記者が建設会社の会合に盗聴器を仕掛け、それが発覚して懲戒免職になった。
その記者を伊藤記者は著書の中で次のように擁護したことを田原牧特報部長は教えてくれている。
「全国の記者は君がした事を、舌打ちしながらも許してくれるに違いない」と。
そして、伊藤記者のエピソードを紹介しながら、田原牧特報部長は伊藤記者を擁護しているのだ。
他社の記者のエピソードを引用するところを見ると田原記者はこの伊藤記者を尊敬しているのだろう。
伊藤記者は記者の鑑だったのだろう。
安倍首相の権力私物化であると怒った世論は、黒川氏が辞めた時点で世論が政治を動かしたと勘違いして喜んだ。
それで十分なのだ。
もはや他のスキャンダルで権力批判を始めればいいのだ。
権力批判のネタはいくらでも出て来る。
これを要するに、三方一両得どころか、皆が少しずつ損をしながら得をしているのだ。
黒川事件がすっかり過去のものとなり、いまでは誰も取り上げないのも頷ける。
そして政治は何も変わらないまま続く(了)
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