きょうの政治報道が教えてくれた。
国会は延長されることなく6月17日に終わると。
第二次補正予算案が6月上旬に提出され、11日にも成立させる段取りだと。
複数の政権幹部がきのう29日明らかにしたと。
もちろん、これは安倍自公政権の描く希望的政治日程だ。
しかし、多少のずれ込みや与野党の攻防はあるにせよ、おそらくこの通りに進むだろう。
そして、安倍首相は国会終了とともにサミット出席のための訪米に旅立つ。
そして、帰って来るころには政治ニュースは東京都知事選一色になる。
そこには野党の出番は皆無だ。
本来ならば、週明けから始まる6月の第一週に、野党が安倍政権を立ち往生させ、安倍首相を解散・総選挙に追い込まなければいけないはずだ。
しかし、これまで同様に、何かにつけて安倍批判をして「やってる感」を示そうとするが、野党はなにひとつ決定的な打撃を安倍首相に与えることなく、国会は終わる。
耐えられない政治の軽さだ。
その一方でコロナ騒ぎは続き、国民の生活苦はどんどんと深刻になっていく。
政治不在ここに極まれりだ。
なぜ、こんなことになってしまったのか。
戦後の政治が間違っていたということだ。
55体制という八百長政治対決が続いた後、それを否定する形で政権交代劇が始まり、国民の手によって戦後の政治史上初めての政権交代が起きたまでは良かったが、見事に失敗に終わった。
その失敗の原因をはっきりさせようとしないまま、同じような政党と同じような顔ぶれの政治家たちが、保身と権力欲を最優先して政局に終始してきたのだ。
コロナ危機がもたらす悪影響は、想像以上に長引き、想像以上に深刻になるだろう。
世界政治が分裂、対立の方向にどんどん進み、対米従属しか選択肢のない日本は、ますます存在感を失っていく。
国益は失われ、そのつけは国民にのしかかる。
弱い国民ほど苦しくなる。
そうならないために、戦後政治は根本的に変わらなければいけない。
それを訴えて、行動を起こし、国民の支持を得られるような指導者が出てくるだろうか。
いま出てこなければ、いくら待っても出てこない。
出てくる時がない。
そう思えるほどの、耐えられない政治の軽さである。
不毛な国会である(了)
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