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コロナ対策の最善策はコロナ死の恐怖を実感させることだ(続)

 どうやら5月の連休が明けても日本列島は緊急事態宣言から脱却できそうもない。

 いくら自粛要請をしても限度があるということだ。

 だからといってこれ以上規制を厳しくすると、人権蹂躙になる。

 いや、その前に、経済が倒産し、生活ができなくなる。

 それほど日本は深刻な状態に直面しているのだ。

 どうすればいいのか。

 コロナ感染の深刻さを、もっともっと、国民に実感させることしかない。

 私はコロナ死の恐怖を実感させるこそ最善の対策だと、4月12日のメルマガで書いた。

 それから10日ほど経った今、いま再び、より深刻さをもって、コロナ死の恐怖について書きたい。

 コロナ死の恐怖をあらためて思い知らされるニュースが立て続けに流された。

 ひとつは軽症患者の突然死が増えていることだ。

 路上で倒れた後にコロナ死である事が判明したり、自宅療養中であったはずが孤独死で見つかるケースが出てきている。

 コロナ感染が、発症したと思ったらあっという間に重症化し、気がついたら死んでしまう、これほど恐ろしい事はない。

 死の直前に、自分の人生こんなはずではなかった、まだまだやりたい事があるのに、と思いながら死んでいく恐怖は、想像するだけで怖い。

 もちろん、不治の病で余命を宣言された場合もそうだろうが、まだ余命の間をどう使うかという猶予がある。

 しかし、コロナ死の場合は、それすらも奪われてしまうところが恐ろしいのだ。

 もうひとつ、これまでには見られなかった光景が目の前に広がっている。

 すなわち、死体が一度に多く出て来て、埋葬し切れないという光景だ。

 世界があこがれたあの米国で、棺桶が埋葬できずにあふれかえっている。

 どこかで見た光景だと思って気づいた。

 イラク戦争で犠牲者がフットボール場を埋め尽くしている光景だ。

 因果応報と言う言葉があるが、戦争で負ける事を知らなかった米国が、コロナ死に逆襲されているごとくだ。

 深刻なのは、それが、かつて、「フランスに行きたし、されどフランスは遠し」とまであこがれの的であったフランスでも起きていることだ。

 もちろん、イタリア、スペインもそうだ。

 そしてこれからアフリカで爆発的に蔓延するだろう。

 地球上が、埋葬できない死体であふれかえる事になる。

 すべてはコロナ感染の死に至るスピードの速さゆえだ。

 感染予防は真っ先に行わなければいけないが、より重要なのは感染しても死なずに治るという治療薬の発見であり、誰もがそれを安く使える実用化だ。

 なぜもっと、その事に、政府も世論も一点集中しないのだろうか。

 その背景に、どういう事情があるのか、ないのか。

 いまもっとも議論されなければならないのは、その事である(了)

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