私は新年早々の1月2日のメルマガ第2号で書いた。
2月2日投開票日の京都市長選挙では共産党候補が勝ち、政治に激震が走ると。
しかし、私がこう書いても、その後も誰も、このことについて書かない。言わない。メディアは取り上げない。
そう思っていたら、きょう発売の週刊新潮(1月30日号)がやっと書いた。
れいわ新選組・山本太郎の参戦で京都市長選は共産党が勝つと。
そうではない。
山本太郎が応援しなくても共産党候補は勝つのだ。
山本太郎の応援で共産党候補の勝利は確実になったというだけの話だ。
なぜか。それは保守が分裂するからだ。
そもそも現職の門川市長の票はこれまで以上に伸びる事はない。
4選は京都市民に支持されていないのだ。
その上に、天敵である地域政党京都党前代表の村山祥栄候補の票が確実に伸びる。
だったら保守一本化すればよさそうなものだが、自民党にいわせれば、村山候補は共産党候補よりもたちが悪いらしい。
なにしろ、京都市長になりたいだけの人物で、そのためには共産党と組もう(自分が市長で共産党が副市長でどうかと呼びかけたらしい)と呼びかけて断られたほどの無節操な人物だという。
そんな村上候補でも、市長選のたびに得票をふやし、今度は10万票までいくかもしれないという。
そして、それはそのまま自民党の票を減らす事になる。
まさしく漁夫の利で共産党候補が勝つのだ。
そして山本太郎の応援がダメ押しになる。
わかっていながら、自公には危機意識がない。
あっても打つ手がない。
投票率が上がればなんとかなると高をくくっているようだ。
これではだめだ。
しかしである。
今度の京都市長選で共産党・山本太郎連合が勝っても、野党共闘に弾みがつくわけではない。
安倍政権終焉が早まるわけではない。
それどころか、政局がますます不安定になり、その混乱の末に、結果的に自公が強くなるのだ。
共産党の京都市長が誕生したその瞬間から、こんなはずではなかったと、自公は4年後の市長選に向けて攻勢を強めるだろう。
4年間の京都市政はことごとく対立的になり、京都は停滞するだろう。
京都市民の失望と怨嗟の中で4年後は間違いなく自公市政にもどる。
そして国政は、野党連合政権どころか、野党分裂が決定的になる。
共産党・山本太郎と組もうとする勢力はますます左翼的に純化され、共産アレルギーの連中は分裂し、あるいは保守新党をつくり、あるいは自民党に合流する。
そして共産党・山本太郎連合主導の左翼に純化した野党連合は、ますます純化され、決して国民の支持を得ることなく万年野党に終始する。
結果として、無意味な政局混迷の後に、自公政権がますます強くなるのだ。
もし、万が一、危機意識を持った自公が巻き返し、あるいは保守的な京都市民が共産党を嫌い、門川市長が4選を勝ちとったらどうなるか。
千載一遇のチャンスをものに出来なかった共産党も山本太郎も、その時点でしぼむだけだ。
政局大混乱の末、どっちに転んでも、自公政権は続くことになる。
そのころに、安倍首相がいても、いなくても、である(了)
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