2005年の小泉郵政選挙のとき、わたしは小泉首相の地元の神奈川11区から小泉首相に挑戦すべく出馬した。
勝ち目がない事を承知の上で、選挙の場で、ブッシュのイラン攻撃を支持した小泉首相に議論を挑みたかったからだ。
その選挙で、小泉首相は一度も選挙区に顔を出すことなく私の挑戦は空振りに終わった。
そして、一度も選挙区に入らなかった小泉首相は、地元神奈川11区で、これまでのどの選挙よりも最多の投票を得て、自民党を圧勝に導いた。
その時の政務秘書官が飯島勲氏だった。
私が元レバノン大使だったことを知った上で、当時の在京レバノン大使を応援演説に呼んで、勝てるはずがない私にさえも、公職選挙法違反まがいのあてつけをした。
それ以来、私は飯島勲氏の言動を注視して来た。
いまや小泉首相から安倍首相に乗り換えて、週刊文春の定期コラムで言いたい放題言っている。
きょう発売の週刊文春(1月30日号)のコラムもそのひとつだ。
この間の安倍中東外遊を褒めている。
すなわち、米国とイランが一触即発の危機の中にあって、政府部内で延期の声もあったが、それらをおさえつけて安倍首相は決断した、結果的には何も起こらず大成功だったと。
これ以上の間違った評価はない。
何事も起こらなかったという意味が、中東訪問時に米国とイランの戦争が起きなかったと言う意味では、その通りだ。
中東訪問中に自らの一行や、中東で活動している邦人がテロに巻き込まれなかったという意味ではそのとおりだ。
しかし、そもそも、そんな事が起きたら、その瞬間に安倍首相は引責辞任だ。
結果的に何事も起きなかった、安堵した、決行してよかった、と言うのなら、リスクをおかしてまでわざわざあのタイミングで行く必要がなかったということだ。
飯島氏は書いている。
行った先々で歓迎された、自衛隊の中東派遣に賛同してくれた、中東訪問は成功だったと。
歓迎されるのは当たり前だ、自衛隊の中東派遣はイランでさえ歓迎している。
こんなことしか成果と呼べるものがなかったことこそ、無理していく必要はどこにもなかった証拠だ。
そして飯島氏は、見事に今度の安倍首相の中東訪問のいい加減さを証明してくれた。
彼は書いている。
「締めくくりのオマーンは前国王が死去した直後で、安倍首相も一気に弔問外交に切り替えさ。新国王にもしっかり会えたし、・・・」と。
オマーン国王の死去は寝耳に水だったということだ。
オマーン国王が危篤状態であったことすら知らず、のこのこと、オマーンに行ったのだ。
しかも、外遊中にサウジで訃報を知ったにもかかわらず、そして世界中からオマーンに要人が集まって弔問外交が始まっていたというのに、急きょ日程を変更することなく、のんびりア首連を訪れて、そのあとにオマーンに行ったのだ。
これ以上の非礼はない。
週刊文春の読者は騙せても元レバノン大使をだます事は出来ない。
野党は安倍政権の税金の無駄遣いを責めるなら、観光旅行まがいの飯島勲内閣参与の外遊同行の税金無駄遣いこそ追及すべきだ。
税金をつかって安倍外交の宣伝役をさせている。
これこそが権力の私物化である(了)
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