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対米従属の原点は旧安保条約にあった事を教えてくれた朝日

 あす1月19日は1960年の改定日米安保条約の署名から60周年に当たるという。

 だからきょうの各紙が一斉に特集記事を掲載している。

 その中でも、朝日新聞の特集記事は国民必読だ。

 いうまでもなく、改定日米安保条約の元は1951年に署名された旧日米安保条約である。

 すべてはそこから始まり、改定日米安保条約も、その骨格は何も改定されていない。

 だから朝日の特集記事は、旧日米安保条約について書いている。

 私がその朝日の特集記事で注目したのは、旧日米安保条約の誕生の裏にある隠された史実だ。

 またひとつ新たな発見をした。

 それは次のような史実だ。

 すなわち1951年9月7日にサンフランシスコで対日講和会議が開かれた。

 そしてその会議で吉田茂首相署名に臨む日本政府の立場を演説した。

 その演説文に次のような裏話があったのだ。

 すなわち、その演説文で吉田茂は次のように決意表明をしている。

 「・・・わが国民は極東並びに全世界における隣邦諸国と平和のうちに住み、その社会組織をつくり直して、すべての者のためによりよい生活をつくらんとする希望に燃えております・・・」と。

 この不自然な日本語の文章は、実は外務省が原稿を完成した後に、米国から事前に見せろと要求され、見せた後に米国によって追加しろと渡された英文の訳なのだ。

 米国から渡された英文を見た吉田茂は渋々演説文にそれをつけ加えたという。

 私が驚いたのは、ダレスが関係国を回って講和条約を取りまとめた人物であったと書かれていたところだ。

 つまり、当時はサンフランシスコ講和会議に参加する国の中ですら、日本の軍国主義に対する懸念を抱く国が少なからず残っていた。

 そのような国を説得して回ったのが米国であり、その米国が彼らを説得するために、演説の直前になって、平和宣言を起案し、それを吉田茂に言わせたのだ。

 吉田茂はそれを渋々認めて表明したのだ。

 平和宣言ですら米国のお仕着せだったのである。

 しかもである。

 講和条約に署名した同じ日に、日本は日米安保条約に署名させられている。

 ここまではいまや多くの国民は知っている。

 私は、これは日本政府も了解の上そうしたと思っていたのだが、なんと吉田は前日に米国政府に次のように知らされたというのだ。

 あす講和条約の加盟国の署名が終ったら、そのあとで日米安保条約に署名すると。

 吉田は日米安保条約の交渉は継続中としておきたかった。

 講和会議のさなかに条約文が発表されたらソ連などが攻撃材料にすることをおそれたからだ。

 そして、その意向をダレスにも伝えていた。

 それにもかかわらず、講和会議が終ったからいいだろうと言わんばかりに、ダレスは、講和条約の署名が終ったあとで、その日のうちに署名すると、通報して来たのだ。

 しかも前日に。

 そして吉田は、それを講和会議の全権代表団の国会議員にその日のうちに伝える事無く、翌日、講和条約の署名を終えて全員ホテルに帰ってから、これから日米安保条約に署名して来ると告げている。

 全権代表団の国会議員らが怒り、吉田一人で署名に向かったのは当然だ。

 吉田茂の驚くべき密室ぶりであり、対米従属ぶりだ。

 それから70年近くたって、日米関係の密約ぶりと対米従属ぶりはますます嵩じてしまった。

 その原点は旧日米安保条約の成立過程の中にこそあったのである。

 それを教えてくれたきょう1月18日の朝日新聞の日米安保60周年特集記事は、国民必読である(了)

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