新党憲法9条

憲法9条それは希望

令和の時代に誕生する新しい政党こそ新党憲法9条である

 私の読者なら知っているはずだ。

 私が、憲法9条を日本の国是とすることを高らかに党是として掲げる新党憲法9条を、何としてでも日本の政治の中に誕生させたいと決意したのは、2016年8月8日に発せられた天皇(現上皇)のお言葉を聞いた時だということを。

 実際のところ、あのお言葉は、象徴天皇のなすべきことは何か、それを誰も教えてくれない中で、自ら考え抜いて、それは憲法9条こそが戦後の日本の国是だと信じ、その務めに励んできたが、それでよかったか、そう国民に答えを求められた言葉だった。

 その務めは象徴天皇以外の誰も出来ない。

 そしてその務めは全身全霊で懸命に励まなければいけないほど困難なものであり、高齢によってそれが全うできなくなった以上、生前退位をしてでも新天皇に引き継がれるべきものだと考えるがそれでいいか、

 そう国民に、あえて憲法違反のリスクを冒してまで、投げかけられたものだった。

 ところが、政府もメディアもそして有識者も、そのあまりの衝撃的なお言葉に動揺し、誰も正面から答えようとしなかった。

 もちろん、衝撃の最大の理由は、それが安倍首相の実現しようとする国体と正反対であるからだ。

 ところが、やっと天皇の退位が4月30日に差し迫ったこの一週間に、まるで堰を切ったうように、あのお言葉の真意が公然と語られ、評価されるようになった。

 そしてお言葉の評価と共に、天皇とそれを支え続けられた皇后が、まさしく日本の象徴として認められ、確立されたのだ。

 私はこの流れは止められないと思う。

 新天皇と皇后は、上皇と上皇后が目指されたことを引き継ぎ、そして間違いなく上皇と上皇后はそれを見守る事になる。

 二重権力はあってはならないという建前を維持しながら、この平和に対する上皇と上皇号の思いは、国民に対して影響力を持ち続けるのだ。

 まさしく二重権力によって憲法9条が国是となる方向で令和は進むのだ。

 しかし、内外の情勢はそれを許すにはあまりにも厳しい。

 世界は歴史に逆行する方向に向かい、そして日本もまた国民が二極化しつつある。

 もし国民と国家の統合が失われるようになれば、憲法9条を国是とするという象徴天皇の願いも難しくなる。

 だからこそ、新党憲法9条が必要になるのだ。

 上皇や新天皇だけにその責任を負わせてはいけないのだ。

 この国の政治の中に、国民の手で選ばれた新党憲法9条という新しい政党を誕生させ、時の政権を国民の手でけん制、監視し、最後は新党憲法9条を国民の大多数が支持する政党に育てていかなければいけないのである。

 4月1日に令和が発表されて以来、私はずっとそう考えて来た。

 そして、そのような私の考えを決定的にしたのが、「バイス」と「記者たち」という米国のイラク攻撃を批判した二つの映画である。

 これもまた私の読者なら知っていると思うが、私が最初に新党憲法9条を立ち上げようと思い、実行に移したきっかけは、あのお言葉に先立つ一年前の、2015年4月だった。

 すなわち、安倍首相が訪米し、米国の上下院合同議会で安保法を約束する演説をしたことを知った時だった。

 憲法9条に違反して集団的自衛権を認め、米国とともに戦う事ができるような日本にする法案を、日本国民を説得できないまま、米国国民の代表である議員たちの前で約束する。

 こんな売国的な首相を許していいのか。

 この怒りが私を新党憲法9条の結党宣言に駆り立てたのだ。

 そして、それから1年あまりたって投げかけられたお言葉で、私の新党憲法9条に対する思いはお言葉に対する国民の答えになったのだ。

 その米国は、イラク攻撃によって国力を衰退させ、国民を分断させ、そして法の支配を逸脱する世界最悪の戦争国家になってしまった。

 そして、トランプ大統領の米国は、もはや人類が悲鳴を上げるような未知の戦争に向かっているように見える。

 それを教えてくれたのが「バイス」と「記者たち」という二つの米国の映画だ。

 そんな米国に日本はこれ以上従属してはいけない。

 令和の時代に入ったいまこそ日本は、憲法9条を世界に掲げ、米国から自主、自立した平和外交に舵を切るのだ。

 あの映画を見た時、私は外交官人生をかけて米国のイラク攻撃に反対したことが決して無意味でなかったとあらためて自分に言い聞かせた。

 その代償はあまりにも大きかったけれど、そのかわりに新党憲法9条をこの国の政治の中に誕生させる必要性と歴史的必然性に気づくことが出来た。

 新党憲法9条が実現できればすべてが報われる。

 新党憲法9条の実現はもとより容易な事ではない。

 私の手ではそれを実現できないかもしれない。

 しかし、たとえ私が自らの手で新党憲法9条を実現できなくても、私は問題提起をした。

 その問題提起は、間違いなく令和の時代に誰かの手によって実現され、そして日本の政治の中で中心的役割を果たすようになるだろう。

 我々は新党憲法9条をこの国の政治の中に誕生させ、新天皇と伴走していくのである。

 新党憲法9条 それは希望である(了)

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