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米国のイラク攻撃を批判した二つの米国映画を見て思う

 何事も、「これが平成最後の」という枕詞をつけるのが決まりになっているから、その決まりにならって私も書いてみる。

 平成最後のブログはこれだと決めた。

 きのうと、きょうの二日、私は米国のイラク攻撃を批判した二つの米国映画を映画館に足を運んで観た。

 チェイニー副大統領を描いた「バイス」と言う映画と、「ナイトリッダー」の記者を描いた「記者たち」という映画である。

 その感想を書いて、令和のブログに移ることにする。

 これから書くことは、私が令和のブログ第一号で書こうと決めているテーマと見事につながるのだ。

 同じ時期につくられ、公開されたこの二つの映画は、あのイラク戦争を少しでも関心を持って見て来た者にとっては、当時の事を懐かしく、そして衝撃的に蘇らせてくれる素晴らしい作品になっている。

 このような映画が作られる米国に、私は、わずかではあるが、救いを見る。

 いまだにまともな検証をすることなく、忘れてしまいたいといわんばかりの日本では、絶対に生まれない映画である。

 しかし、この映画で私が感じたのは感動だけではない。

 むしろ怒りと絶望に近い感情だ。

 そして、それは映画の中で登場人物が見事に語っていた。

 すなわち、たとえ人々が真実を知るようになっても、それでも戦争はなくならないのだと。

 たとえ権力者が嘘をついて戦争犯罪を犯したことが明らかになっても、彼らは処罰されないまま権力にとどまり続けると。

 そして時代は逆行し、悪くなる一方だと。

 トンキン湾攻撃という嘘で始まったベトナム戦争で多くの兵士を殺し、それを反省したはずの米国が、今また存在しなかった大量破壊兵器の脅威を煽ってイラク攻撃をはじめ、多くの犠牲者を出したと。

 少なくとも当時はベトナム戦争の責任をとって大統領は辞任したが、イラク戦争では誰も辞めていないと。

 この二つの映画が教えてくれることは、ますます悪化する不条理な国際政治の現実である。

 そして皮肉にも平成の最後の瞬間に、スリランカで大規模な自爆テロが起きた。

 勝利したはずのテロとの戦いに見事に逆襲されているのだ。

 米国と軍事的に一体化しつつある令和の日本の最大の課題は、日本を自爆テロの犠牲にさせてはいけないという事だ。

 そのために日本はどうあるべきか。

 それを明日の令和のブログ第一号で書くことにしたい(了) 
 

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