脱原発と平和を訴えるイスラエル人が日本にいると聞いて、二日ほど前に彼の住んでいる秩父山麓まで電車を乗り継いで訪れた。
みずからログハウスを建て、家具づくりで生計を立てているというダニー・ネフセタイさんとそのパートナーである吉川かほるさんに歓待されて帰って来た私だが、私の心は暗かった。
ダニーさんが語ったイスラエルはあまりにも絶望的だったからだ。
しかもイスラエルはどんどんと右傾化しているという。
4月9日の総選挙でネタニヤフ首相が再選されれば、イスラエルに未来はないと言わんばかりだ。
イスラエル人であるダニーさんがそういうのだから間違いないだろう。
帰りに彼が2年ほど前に書いた「国のために死ぬことはすばらしい?」(高文研)をもらった。
その中に衝撃的なくだりがあったので引用させてもらう。
ダニーさんは、1960年にイスラエルの諜報機関モサドがアルゼンチンに潜伏していたアイヒマンを拘束し、裁判の結果1962年に処刑された事件は二つの意味で歴史的だったという。
一つはもちろん、この裁判がナチス政権によるユダヤ人虐殺を最終的に裁いたという事だ。
しかし、私が注目した事は二つ目の意味である。
すなわち、ダニーさんはこう書いている。
「当時の外務大臣ゴルダ・メイアのアイヒマン裁判後の発言が、その後のイスラエル人の認識を変えた・・・その発言とは、『私たちが殺されたことが明らかになった今、私たちが何をしても、世界の誰一人として私たちを批判する権利はない』ーこの発言の影響は今日までずっと続いている。パレスチナの人々への差別や発言を責められた時、この言い訳を使うイスラエルのひとのほとんどが、その由来があの時のゴルダ・メイア発言にあると知らないほどに・・・ともかく、ゴルダ・メイヤの発言によって、イスラエルは外部からの批判に一切耳を傾けなくなった・・・」
そうだったのかと、私はあらためてイスラエルと言う国の現実を知った。
しかし、私がもっと衝撃を受けたのは、実はこの言葉とそっくり同じ言葉を、私はレバノンで会ったパレスチナ抵抗組織の若者から聞いた事があったからだ。
その若者は私に言った。
もし俺たちが今核兵器を持っていたら、何のためらいもなく今すぐテルアビブ(イスラエルの首都)に撃ちこむ、と。
そうしたからといって、我々を批判する権利は世界の誰にもない、と。
つまり、イスラエルからここまで虐殺され続けて来たパレスチナ人たちは何をやっても許されるというのだ。
そして、その虐殺を前にして本気で助けようとしてこなかった国際社会に自分たちを批判する権利などない、というのだ。
イスラエル人とパレスチナ人がこのような思いでいる限り、和平は来ない。
絶望しかない。
これはまさしく憲法9条が通用しない世界なのだ。
しかし、それでも和平はを追求するしかない。
絶望では人類の未来はないからだ。
それが憲法9条の教えてくれる事である。
私は小説でパレスチナ和平を実現した。
それが、「アマル それは希望」だったのだ。
新党憲法9条の合言葉である(了)
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