きょうの読売が一面でスクープ記事を書いた。
政府は4月1日に予定する新元号の発表を菅官房長官が行う方針を固めたと。
新元号に関する報道に誤報があってはならないから、この読売の記事は本当だろう。
安倍首相が自ら発表して、新元号おじさんになると思われていたが、さすがにそこまではでしゃばらなかったということだ。
しかし、逆に、発表者を菅官房長官に譲った代りに、新元号に自らの頭文字である「安」を使う可能性が高まったともいえる。
菅官房長官が、詮索されるから新元号の発案者を明かさないと、わざわざ表明した事も、その布石ではないか。
昨日の日刊ゲンダイ(3月26日号)にいたっては、光安または康安という名前をすでに皇太子に提示したらしいという説まで流している。
しかし、それでも私は新元号に「安」の字が入る事にはならないと思っている。
そこまで厚かましくはないと思うからだ。
もし「安」の字が入ったらどう釈明するかって?
それは簡単だ。
やはり安倍首相は愚かだと批判すればいいのだ。
なにしろ、新元号の世の中が続く限り、こんな世の中にしてしまった平成最後の6年余の安倍失政が、何かにつけて思い出され、怨嗟の的になるからである。
いや、その見方は甘い。
安倍首相は失政ではなく、成功だと思い込んで「安」をつける。
そう言われたら、それもまた正しいと思えて来る。
その結果はいよいよ4月1日にわかる(了)
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