ジョージ・H・W・ブッシュがきのう11月30日に94歳の生涯を終えた。
ブッシュ大統領との個人的思い出では、1982年6月に彼がサウジアラビアを訪問したことだ。
当時レーガン政権の副大統領だったブッシュ氏は、サウジアラビアのハリド国王が逝去し、その弔問外交でサウジアラビアを訪れた。
そのとき、日本からおなじく弔問外交で政府特使として訪れた福田赳夫元首相と首脳会談し、その時サウジアラビア大使館に勤務していた私は通訳をまかされた。
会談のあと、ブッシュ氏は私に握手を求め、笑いながら通訳ごくろうさんと声をかけてくれた。
英語の下手な私が通訳に苦しんでいたの見て、そうねぎらってくれたのだ。
汗びっしょりの私はその言葉で救われた。
そのことを思い出して、私はブッシュ大統領の訃報を悼んでいる。
しかし、私がブッシュ大統領の死を悼むのは、もうひとつの大きな理由がある。
それはブッシュ大統領が、イスラエルにも苦言を呈した稀有な大統領だったからだ。
ブッシュ大統領を悼むきょうの各紙の記事は、彼がカーター大統領と並んで大統領選で再選できずに一期しか務められなかった不名誉な大統領だったといわんばかりの記事だ。
そしてその理由として、「政治は経済だ」と言って勝利したクリントン大統領に負けたのだと書いている。
しかし、ブッシュ大統領が負けたもうひとつの大きな理由があった。
それはイスラエルを批判したからだ。
そのことをきょう12月2日の毎日新聞で専門編集委員の布施広氏がこう教えてくれている。
ブッシュ大統領は、「イラクは武力で排除したのに、イスラエルのパレスチナ占領は許すのか」そんな米国批判を重く見て、1991年秋にマドリードで紛争当事国が一堂に会する中東平和会議を開いたと。
ブッシュ大統領は、イスラエルが求めた巨額の融資保証の条件として、ユダヤ人入植地の建設停止を求めたと。
イスラエルに言うべきことを言える、「最後の大統領」だったと。
というのも、ブッシュ大統領が再選に失敗してから、米政界では大統領の一期目はイスラエルの不興を買うのは禁物という「タブー」が強まったからだと。
息子のブッシュ・ジュニアは国際協調の大切さを父から学ばずイラクを攻撃し、父が築いた「米国による平和」を台無しにしたと。
そして、いま国際協調に背を向ける米国の大統領が驀進していると。
泉下のブッシュ大統領が言いたいことは多いはずだと。
その通りだ。
いま私はブッシュ大統領の逝去をこころから悼む(了)
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