きょう10月30日の東京新聞に感動的なコラムを見つけた。
それは、ジャーナリストの木村太郎氏が書いた「太郎の国際通信」だ。
そこで木村氏は安田純平さんを非難する自己責任論を批判し、安田さんを全面的に擁護する意見を述べている。
安田さんたちは、今、日本に必要な情報を伝えるために危険を承知で取材に入ったのだ。それを「自己責任」と突き放すのは筋違いだ、と。
そして最後にこう締めくくっている。
「私も、もう少し若ければシリア内戦を現地で取材したかった」と。
同じジャーナリストとして、ここまで安田さんを全面擁護する木村氏に私は感動した。
しかし、私がこの木村氏のコラムで本当に感動したのは、木村氏が語っている自らの次の体験談だ。
1973年のオイルショックの時、社会部記者としてトイレットペーパー騒動を追っていた木村氏は、国民から「マスコミは何をしていたのか」と批判の声が上がったのを見て、その原因である中東問題を知りたいと転勤希望を出し、1974年からレバノンのベイルート駐在特派員になったという。
そして、多くの中東戦争の取材を通じて、戦争の危険はいきなりやってこない、内戦の犠牲になる国民の痛みと、その痛みが怒りに変わり爆発していく事を知ったという。
そして、その実態は、現場で最初の痛みから実感していないとわからない事を知ったという。
安田さんはまさしくシリア内戦の痛みを取材をしていたのだ。
シリア内戦を外電を引用して解説するのはたやすいが、現地の住民の痛みを伝えないと、あのオイルショックの時のように、国民に本当の事を伝えられない、そういって安田さんら戦争ジャーナリストの側に木村氏は立つ。
まさしくその通りだ。
木村氏より30年ほど後に、私もまたレバノンの首都ベイルートに転勤した。
ジャーナリストとしてではなく、外交官として、現地の痛みを実感し、そに実感を背に日本のあるべき中東外交を日本政府に伝えようとした。
本国政府を忖度して外交をするだけでは正しい外交をすることは出来ない。
現地の住民の痛みがわからない外交をしていては外交を見誤る。
いまの日本の中東外交がまさしくそうだ。
私は木村太郎氏のコラムに感動し、同じ言葉でこのメルマガを締めくくりたい。
「私も、叶うなら、もう一度外交官に戻って、正しい日本の中東外交をこの手で実現してみたい」と(了)
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