きょう10月8日の各紙は、前日に行われた加計学園理事長の記者会見の模様を一面で大きく報道した。
大きく報じただけでなく、その会見内容があまりにも不真面目で、不謹慎であった事を批判的に報じている。
それはそうだろう。
加計学園問題は森友学園問題と並んで、いまだに国民の7割以上が納得していない。
疑惑解明から逃げ続けて姿を見せなかった加計孝太郎氏がはじめて釈明したのは今年6月だった。
しかし、その内容はあまりにも不十分だった。
だから今度の記者会見を皆が注目していたのだ。
ところが、今度の記者会見でも、あらゆる説明があいまいで、「見ていない」、「わからない」、「記憶がない」を連発した。
実際のところ、その模様を報じるテレビの画像を見ていると、何のためにこんな記者会見を開いたのか、ますます疑惑を深めただけだ、寝た子を覚ましただけだ、と思えるほど人を食ったものだった。
だから各紙は一斉に大きく報じ、しかも批判的に報じたのだ。
ところが、この加計学園理事長の記者会見について報じなかった新聞がある。
それが読売新聞と産経新聞の二紙だ。
もっとも、まったく報じなかったというのは不正確である。
報じてはいた。
しかし、一面や政治面ではなく、社会面で小さく報じただけだ。
しかも、その内容は、まるで示し合わせたと思えるほど、瓜二つだ。
すなわち、記者会見を開いて安倍首相の関与を改めて否定した、と報じただけだ。
これでは報道しなかったことと同じである。
それにしても、加計孝太郎理事長は、喋れば喋るほど、ボロを出して自らの首を絞めている。
まさしく安倍首相と同じ過ちを繰り返している。
どうやら、二人とも疑惑を否定できないまま、世論を納得させられないまあ、最後は非を認めて引責辞任するような雲行きになって来た。
そう思ったからこそ、読売と産経が記者会見をなかったものにしようとしたに違いない(了)
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