玉城デニー氏の勝利は、沖縄の政治史の中で、いや日本の戦後の政治史の中で、本当の意味での民主革命が起きたと言ってもいいほど大きな意味を持つ勝利だ。
問題はそれをどう明日につなげるかだ。
メディアを見ていると、安倍政権の終わりの始まりだとか、野党共闘に弾みがついたとか、政局がらみの記事ばかりだ。
政治を政局でとらえればその通りだ。
私を含め、安倍・菅暴政に怒りを覚える者にとっては、確かに今度の選挙結果は溜飲が下がるものだった。
しかし、もちろん、玉城デニー氏の勝利の本当の意義はそれではない。
辺野古移設阻止が実現できるかどうかである。
そして、この事について正面から政策提言をする記事は皆無だ。
辺野古移設が唯一の解決策だと言い続ける安倍政権や、それを擁護する読売や産経は論外にしても、安倍政権に批判的な東京や毎日も、「辺野古移設は白紙に」(東京)、「再び辺野古ノーの重さ」(毎日)としか書かない。
しかし、それだけでは何の解決にもならないのだ。
もはや辺野古に米軍新基地をつくることが許されないのは当然として、それではどこに米軍新基地を作るのか、それとも米軍新基地は日本に認める場所はない、つまり日本につくらせないのか、そこのところを国政が議論しなければいけないのだ。
そして、その議論の行き着く先は、もちろん日米同盟をこのまま維持するかどうかという問題である。
おりから朝鮮戦争終結宣言が行われようとしている。
その一方で米中貿易戦争が長期化の様相を呈し、軍事的対立にまで発展しかねない状況にある。
米国と中露の対立もあらわになっている。
加えて、一番深刻なのは米国・イスラエルの対パレスチナ、イランに対する強硬政策だ。
もし中東情勢に再び火がつけば、今度こそ世界を巻き込む悲劇が起きる。
そんな時に、日本が日米同盟を最優先して米国と軍事的に一体となっていいのか。
それが憲法9条を持つ日本の外交・安保政策でいいのか。
もっとはっきりと言えば、日本の平和と関係のない、いやむしろ日本の平和の害になる在日米軍を、今度の沖縄の民意をきっかけに、「認められない」という国民の意思にまで発展させる絶好のチャンスととらえるべきではないか。
この議論がないから、玉城デニー氏の勝利に、国民的高揚感が広がらないのだ。
きょうの毎日新聞の社説にこういうくだりがある。
「・・・日米安保条約に基づく在日米軍の存在が日本の安全保障の要であることについて、国民の間でそれほど意見の対立があるわけではない。問題核心は、日米安保のメリットは日本全土で受けているのに基地負担は沖縄に集中するという、その極端な不均衡にある・・・」
これはまさしく翁長知事が言い続けて来た事だ。
沖縄や沖縄の知事がそういうのは正しい。
しかし、全国紙がそれを言ってはお終いだ。
全国紙が言わなければいけないのは、これを機会に日本全土から在日米軍を撤退させる、そのために米国と話し合いを始める、そういう政治を始めなくてはいけないのではないかということだ。
つまり日米同盟の是非につき、国政が、国民を巻き込んで、本格的に議論を始める時が来たのである。
この戦後最大の政治課題から目を背ける限り、日本の政治は政局から抜け出せない。
明るく、力強い日本はやってこない(了)
Comment On Facebook