いよいよ明日9月30日、沖縄知事選挙の投開票日を迎える。
今度ばかりは投票権のない私でもひとこと書かせてもらいたい。
なぜなら、今度の沖縄知事選は、沖縄の命運はもとより、日本国民の命運をも左右するからだ。
たとえ玉城候補が勝っても、安倍・菅暴政コンビは辺野古強行を止めないだろう。
しかし、もし玉城氏が負ければ、もはや辺野古阻止は無理だ。
そして辺野古に新米軍基地が作られてしまえば、在日米軍は永久に残り、日本は今度末永く、米軍支配から抜け出せなくなる。
つまり今度の沖縄知事選の勝敗は、何があっても玉城候補に勝ってもらわなくてはならないのだ。
そこで思い出されるのは2006年1月に行われたパレスチナの選挙だ。
沖縄はしばしばパレスチナに例えられる。
米国とイスラエルによる絶対的な暴力と差別の下に置かれながら、誰も助けてくれない、そのパレスチナが味わう不条理が、日本政府の暴政と差別の下に置かれながら、誰も助けてくれない沖縄の味わう不条理と同じだというわけだ。
そのパレスチナで歴史的な選挙が行われたことがあった。
いまから12年余り前の2006年1月のことだ。
アラブの春が中東に広がるなかで、米国とイスラエルはパレスチナにも民主化の風が吹くべきだと言って自由選挙を求めた。
ところが米国とイスラエルの期待を裏切って、パレスチナ人は自主、独立を叫ぶ抵抗組織ハマスの指導者ハニヤを圧倒的多数で選んだ。
すると米国とイスラエルはハニヤ新政権を兵糧攻めにして報復に出た。
その時ハニヤ首相はパレスチナ人を前にして歴史に残る名セリフを吐いた。
ひるむ事はない。我々には塩とオリーブがあれば生きていける、と。
それはもちろん、ウソだ。
いまも昔も、パレスチナは米国・イスラエルの兵糧攻めに途端の苦しみを味わって来た。
しかしこの反骨精神があればこそ、どんなに圧政を続けても米国・イスラエルはパレスチナを支配できない。
それどころか、自らの圧政・暴政の為に自らを矛盾に追い込んで自滅しつつあるのだ。
投票日を明日に控えたいまこそ、沖縄の有権者の上に、パレスチナの反骨精神の旗が高らかにはためく時だ。
その願いを込めて、安倍晋三自民党が野田佳彦民主党から政権を奪い返した2012年12月の総選挙の時に私が書いた文章を以下に再現したいと思う。
以下引用
日本もハマスだった時があった! 2012年、12月17日
投票日のきょう12月16日の各紙は選挙のことばかりだ。
しかしその中でも興味深い記事はある。
朝日新聞の「ザ・コラム」で曽我豪編集委員が戦後最初の1946年
4月10日の衆院選を振り返っている。
そこで書かれている次の事実は日本国民として話しのネタとして知っ
ておいたほうがいい。
戦後はじめての民主選挙の結果第一党に躍進したのは自由党であった。
その自由党の鳩山一郎総裁が組閣しようとしたところGHQは彼を反米だといって公職追放する。そして吉田茂内閣が成立する。
民主選挙をさせておきながら国民が選んだ首相を気に食わないと言っ
て追放する。
まさに2006年1月のパレスチナ自治区の選挙の時とそっくりだ。
あの時米国は「中東の民主化」を謳ってパレスチナ自治政府に選挙を求
めたが米国の期待に反してパレスチナ民衆は対米強硬派のハマスに過半数の議席を与えた。
ところが米国はただちに制裁を加えハニヤ首相に退陣を迫った。
なんと日本はハマスと同じ扱いを米国から受けていた時があったのだ。
しかしハマスは当時の日本とは違った。
ハニヤ首相はパレスチナ闘争史に残る名セリフをはいて首相にとどま
り今日に至っている。
我々はいかなる弾圧にも屈しない。(どんなに経済封鎖されても)我々には塩とオリーブがあれば生きていける、と。
この時のパレスチナ大衆の歓声と興奮が目に浮かぶ。
同じ占領下でも当時の日本にハニヤ首相の如き政治家が一人でもいた
ら66年後のいまの日本がかくも対米従属になっていなかったに違いな
い。
今度の総選挙がかくも不毛なものになってはいなかったに違いない・・・
引用終わり
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