日本の対米従属外交の出発点は、1951年9月8日のサンフランシスコ講和条約の署名と同じ日に署名された日米安保条約だった。
しかし当時は事実上の米国占領下にあり、また、いまや周知となった昭和天皇の強い意向があり、吉田茂が不平等条約と知りながら署名したのもやむを得ない面が確かにあった。
だからこそ吉田茂は、自らの責任を認め、いずれ将来の政治家の手によって日米関係が是正されることを期待したのだ。
そしてそれを行った首相が岸信介首相だった。
1960年のいわゆる安保条約改定である。
ところが岸信介は、改定はしたものの不平等さを正す事が出来なかった。それどころか、暫定的な旧安保条約を、改定安保条約と言う名の新安保条約をつくってその従属ぶりを固定化してしまったのだ。
まさしく今日の対米従属外交の原点は、岸信介首相による安保条約改定にから始まったのだ。
それから58年を経たいま、岸信介の孫である安倍晋三が、日本を取り戻すと言いながら、見事に日本を米国に売り渡そうとしている。
しかも、米国第一主義を掲げるトランプ大統領に屈する形で。
少しでも日本の戦後史を知っている国民なら、祖父が始め、孫が完成させようとしている対米従属の日米安保体制など、一日も早く変えなければいけないと気づくだろう。
それにしても情けないのが吉田茂の孫である麻生太郎だ。
吉田茂が託した対米自立の日本を実現するのは孫の自分だとなぜ気づかないのだろう。
よりによって、吉田茂の孫でありながら、吉田茂より格下の岸信介の孫をである安倍晋三の下に甘んじて、国民が総反発している森友・加計疑惑を擁護し、売国的な対米従属の固定化に加担している。
岸信介より劣る孫の安倍晋三と、吉田茂より劣る孫の麻生太郎という二人の世襲政治家が、劣り比べをしながら日本の政治をどんどんと劣化させている。
政治の再生はこの二人を否定することから出発しなければいけないのに、この二人がコンビを組んで後三年も続けるという。
日本の政治がよくなるはずがない(了)
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