これだけはどうしても書いておかなければいけない。
砂川事件再審査請求訴訟が18日、最高裁による棄却の判決で幕が引かれた。
この訴訟は、1959年に東京地裁が下した在日米軍は憲法9条違反であるという歴史に残る名判決(伊達判決)が、最高裁の差し戻し判決の結果否定された背景に、当時の田中耕太郎最高裁長官と米国駐日大使の密議があったことがその後公開された米国機密文書によって明らかになり、砂川判決の再審査を要求して起こされた訴訟だった。
本来ならば、棄却されることなく再審査が認められるはずだ。
そして再審査の結果、あの時の最高裁の判決は不当だったと判決されるべきだ。
なにしろ、時の最高裁長官が米国と密議して、判決を歪めた事が明らかになったからだ。
これ以上の司法の中立性を歪めた判決はない。
まさしく日本は司法権まで米国に従属したという動かぬ証拠だ。
だからこそ、私は原告の一人である土屋源太郎さんから数年前に協力を頼まれた時、即座にその要請に応じ、米国機密文書の公式翻訳官まで引き受けて再審訴訟に参加してきた。
そして米国機密文書を読めば読むほど、田中耕太郎最高裁長官(当時)の売国ぶりに怒りを覚えた。
しかし、私は裁判を重ねるたびに悲観的になった。
この国の司法もまた、いや司法こそ、対米従属であることを知ったからだ。
おりから対米従属の安倍政権下だ。
そして司法は完全に安倍政権側についている。
再審請求が認められるはずがない。
そう思わざるを得なかった。
かくなる上は、国民が真実を知り、いくらなんでもここまで司法が米国に従属してはいけないと怒り出すしかない。
その怒りが最高裁の判決に影響を及ぼすように持って行くしかない。
そう思って私なりに情報伝播に努めた。
ところがメディアはこの砂川事件再審訴訟の事を一切報じようとしなかった。
これでは砂川事件再審請求訴訟の重要性について国民が気づかないはずだ。
私は再審査訴訟を重ねるたびに、悲観的になって行った。
しかし、私が本当に悲観的になったのは、再審査訴訟を行った原告やその弁護団側に、何があっても再審査請求訴訟に勝つという本気度が感じられなかったことだ。
そもそも砂川事件は安保反対の左翼活動から始まった事件だ。
今度の原告は当時の活動家たちだ。
その原告が、当時のイデオロギー活動の発想から脱却できず、ひろく一般国民に訴える努力をしなかった。
私は、それでは一般国民に広がらないと思った。
その事を私が私がいくら主張しても、所詮私は原告ではない。
あくまでも私は本件訴訟の二次的当事者だ。
私の思いは伝わらなかった。
そして今度の判決結果も、私は報道によってはじめて知った。
そこには、原告のひとりである土屋源太郎さんの言葉が次のように紹介されていた。
すなわち、「怒りを覚える決定だったが、米軍駐留を違憲とする判決があったことを知ってもらう機会ができ、ありがたかった」と述べ、再審請求に意義があった強調したと。
その程度の再審訴訟だったのか。
これでは日米安保体制は永久に変える事は出来ない。
対米従属は永久に続く。
そして砂川事件はやがて日本国民の記憶からなくなる。
そうさせては行けない。
18日に下された最高裁の砂川再審審査棄却判決こそ、平成の田中耕太郎判決だ。
日本の司法を米国に売り渡した売国判決だ。
私は新党憲法9条をつくってそれをこの国の政治の中で訴える。
米軍基地は憲法9条違反であり、日米安保条約がある限り日本は主権国家になり得ないことを国民に提起するつもりだ。
左翼イデオロギーでない一般国民の政党が、その事を訴えなければいけない。
それが新党憲法9条である(了)
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