数ある国際政治の不条理の中で、パレスチナ問題ほど不条理なものはない。
そしてその不条理はいま我々の目の前でかつてないほどあからさまな形で展開している。
トランプの在米イスラエル大使館のエルサレム移転をきっかけに、パレスチナの抵抗とそれを弾圧するイスラエルの暴力という負のスパイラルが再び起きている。
絶望的なのは、イスラエルとそれを支える米国の政策が、ますます一方的、差別的、暴力的になっている事だ。
そして、もっと絶望的なのは、それにもかかわらず、それに対するアラブや国際世論の批判がますます弱まっている事だ。
誰の目にもイスラエルと米国の政策は間違っていると分かっているのにである。
まるで強者による弱者のいじめはなくならないと、あきらめているごとくだ。
もちろん、そのようなあきらめをもたらす背景には、強者による飴と鞭があり、弱者の分断統治がある。
それでも、抵抗を止めない良心が、良心に訴え続けているが、その良心さえも強者は奪おうとしているのだ。
これこそが差別であり、弾圧だ。
こう書いていくと、我々は日本の中にもパレスチナ問題がある事に気づく。
そうなのだ。
それは沖縄問題である。
きのう5月15日は沖縄復帰46年だった。
おりから沖縄では辺野古移設に反対する住民や支援者たちの抵抗と国家権力による取り締まりの悪循環が続いている。
対米従属の安倍暴政がこれまでのどの政権よりも強硬に沖縄を痛めつけている。
誰もがそれを知っている。
そしていまや安倍暴政は世論の支持を失っている。
それにもかかわらず、この国の政治もメディアも、世論も、本気で沖縄のために行動を起こそうとしない。
そのことは沖縄復帰46年の日のメディアを見てわかる。
どこも沖縄特集記事を組んで沖縄問題を解決すべきと訴えなかった。
社説に掲げて沖縄の不条理を訴えたのは朝日、毎日などごく一部だ。
それさえも、書いてみるだけだ。
不条理が不条理のままやり過ごされる。
なんとかしなければいけないと思いながら、それが出来る者たちは本気で解決しようとしない。
弱者の良心だけが訴え続けるが、その良心は痛めつけられたままだ。
まさしく日本の中のパレスチナが沖縄にある。
憲法9条を持つ日本の最最大の矛盾である。
日本の政治の救いがたい矛盾である(了)
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