新党憲法9条

憲法9条それは希望

5月14日に我々が目撃した歴史に残る米国と日本の不正義

 きのう5月14日は、二つの不正義がまかり通った歴史に残る不幸な日として人々に記憶されるだろう。

 いや、記憶されなければいけない。

 ひとつは、もちろんトランプ大統領の米国大使館のエルサレム移転強行だ。

 そしてもうひとつは、安倍首相による加計疑惑否定に終始した開き直り国会答弁だ。

 そこに共通するものは、強者がますますおごり、弱者が徹底的に排斥される姿だ。

 権力を持った一人の人間が、権力を私物化し、自らの保身の為に濫用する醜い姿だ。

 そして、良識あるものが、その不正義に気づきながら、あるいは追従し、あるいは沈黙する、という良心の喪失だ。

 その結果何が起きるか。

 共生社会の崩壊である。

 強者がますます増長し、弱者が絶望的にいじめられ、切り捨てられる分断社会だ。

 このままでは人類の将来はない。

 せめて我々は、日本だけでも明るく正しい未来を切り開かなくてはいけない。

 そのためには、弱者が強者に立ち向かうだけでは不十分だ。

 強者の中から、強者の不正義を正す者が出て来なくてはいけない。

 正い強者を、弱者である我々が、我々の手で、我々の意思で作り出さなくてはいけない。

 それが新党憲法9条なのだ。

 憲法9条という絶対的に正しい政治思想、政治哲学の下に、すべての弱者が結集すれば、これ以上ない強い政党をつくれる。

 そこには特定の政治家や指導者は要らない。

 必要なのは、そういう政党を自分の一票でつくり、権力者の不正義を許さない社会をつくり出したいと考える、一人一人の思いだけで十分なのだ。

 声高に叫んだり、政治的行動をみずからする必要はない。

 そういう政党をつくってそういう社会にしたい。

 皆がそう思うだけで新党憲法9条は実現できる。

 そう考える私はあなたであり、あなたは私なのだ。
 
 新党憲法9条は、それを願うひとりひとりが、等しく主役であり、党首である政党である。

 そんな政党をつくり、日本を世界が求める国にしてみたい(了)

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