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拉致被害者情報を告げられて「頭が真っ白」になった田中均

 2002年9月17日の小泉電撃訪朝と平壌宣言署名に至る外交は、いまでも、その評価が分かれている。

 無理もない。真実を知る立場にある者が、本当の事を語らないからだ。

 そんな中で、当事者である小泉純一郎元首相が回顧録「決断のときートモダチ作戦と涙の基金」(集英社新書)で初めて明かした。

 拉致被害者については何の情報もなかったけれど、自分(首相)が行かなければ物事が進まないと思って行った、と。

 それを読んで私はやはりそうだったのかと思った。

 そして、それでは、拉致被害者の命を軽んじる、あまりにも無責任な外交だと私は批判した。

 しかし、少なくとも5人は生きて帰ることができた。

 小泉首相は、帰って来た人たちに感謝されている、と胸を張っている。

 確かにあの時小泉首相が訪朝しなければ一人も帰ってこなかったかもしれない。

 そう考えれば評価できるという人もいるだろう。

 どちらの評価が正しいのか。

 そう思っていたところに、もう一人の当事者である田中均元外務官僚が述懐していたことを、きょう4月3日の産経新聞で知った。

 すなわち元産経新聞の社会部記者であった阿部雅美という人物が「40年目の検証 私の拉致取材」という連載を書いている。

 この連載は阿部記者の渾身の貴重な連載であり、私はずっと読み続けて来たのだが、その74回に当たるきょうの記事の中で次のように書いているのを見つけた。

 つまり、当時小泉訪朝をお膳立てして平壌宣言署名にこぎつけた田中均外務審議官(当時)が、「8人死亡は全くの想定外で、一瞬頭が真っ白になった。衝撃が大きかった」と認めているというのだ。

 外務省の同期である田中均が、どこでそのような述懐をしていたか私は知らなかったが、もしそうだとすれば、やはり彼にとっても寝耳に水の情報だったということだ。

 それでも、小泉首相と同様、その情報を、何の検証もなくその場で認めて平壌宣言に署名してしまったのだ。

 こころの迷いはなかったのだろうか。

 阿部記者はその記事をこう締めくくっている。

 「小泉訪朝の裏側に関しては、さまざまな憶測、詮索があるが、どこまでが本当なのか。今も闇の中だ。関係者は墓場まで持ってくつもりなのだろうか」と。

 はたして歴史は小泉訪朝をどう評価するのだろう。

 それともトランプが金正恩とあらたな解決を見つけ出してくれるとでもいうのだろうか(了)

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