就任したばかりの小野寺防衛相が防衛大綱の見直しに言及したのは内閣改造直後の8月3日だった。
そしてきのう8月6日、広島の平和祈念式典に出席した安倍首相はその直後の記者会見で防衛大綱見直しをみずから表明した。
それを報じるきょう8月7日の日経新聞は、「防衛大綱の見直しは。3日の内閣改造に合わせ首相が小野寺五典防衛相に指示していた」と書いている。
日経が書くまでもなく、防衛計画大綱の見直しは、すでに安倍首相によって決められていたのだ。
いくら何でも、就任したばかりの小野寺防衛相が、防衛計画の見直しを言い出したなどということはあり得ないからだ。
そして安倍首相の防衛計画大綱見直し表明の後ろには、河野統幕長率いる自衛隊幹部の野心がある。
つまり、今度の防衛計画大綱の見直しは、自衛隊を重視し、自衛隊の権限を強化しようとする安倍首相と、それを歓迎する自衛隊の利害が一致した、日本のあらたな防衛政策なのである。
シビリアンコントロールの逸脱どころか、シビリアンのトップと制服のトップが一体となっているのだ。
もちろん、安倍首相も河野統幕長もこれ以上ない対米従属だ。
というよりも米軍至上主義だ。
おりから、軍人ばかりを重用するトランプの米国は、対北朝鮮圧力強化に前のめりだ。
当然のことながら防衛計画大綱の見直しは北の核ミサイル攻撃に備えたミサイル迎撃能力の強化が中心だ。
しかも、安倍首相は被爆地広島の平和記念式典の場で、それを表明する無神経さだ。
何から何まで、これ以上ない憲法9条違反だ。
それなのに、護憲政党は沈黙したままだ。
来るべき解散・総選挙に備え、それどころではないと言わんばかりだ。
本末転倒だ。
何のための護憲政党だ。
何のための野党だ。
何よりも、なんのための政治だ。
このままでは日本は日米同盟とともに滅ぶ。
核戦争に巻き込まれたらその瞬間に終わりだが、たとえ核戦争が起きなくても、日米同盟の強化で日本の命運は米国に握られることになる。
こんなことは絶対に許してはいけない。
いまこそ、憲法9条が最強、最善の安全保障政策であることを堂々と訴える新党憲法9条が、日本の政治に必要な時である(了)
1番厄介な問題は、軍産複合体制です。兵器産業の暗躍を、政治が止められないどころか、利用されまくる現実。トランプにしてもより強い軍産複合を、構築しています。いつトランプ戦争に巻き込まれても、おかしくない段階です。北朝鮮ミサイル問題及びその対応策とされる米日協同防衛も、兵器産業が強力にバックアップする中、展開される。政府による北朝鮮脅威論に国民は煽られ、憲法九条ではこの国は守れないと、改憲を声高に叫ぶ。私も現憲法のままでは様々な問題に対応しきれないと考える一人だ。九条一項を変えろなんて言うのではないのです。それを変えるのは、言語道断です。ですが、どう考えても二項は現実的に矛盾の象徴としか言いようがありません。
広島原爆の日に、松井市長は核兵器は絶対悪と断じた。しかし日本政府は、核兵器禁止条約の参加をしていない。
広島に落とされた原爆は、リトルボーイという15キロトンのものです。今は、原子力潜水艦に搭載されているトライデント・ミサイルが運べる核弾頭は、平均100キロトンのものです。
広島の原爆の3,300倍のものが、50年前すでに作られています。現在世界には14900個の核弾頭が存在します。もし、1963年に部分的核実験禁止条約が、なければ、もっと威力のあるものや数も増えたことでしょう。それでも更に誰彼の国全てが禁止するものです。全てを地球上から廃棄すべきものです。
広島の100倍や、3300倍のものが使われたら、どれほどの人類や地球上へのダメージがあるか、実写とイメージを合わせた映像などで、世界各国に訴えて、次世代につながるとよいと思います。
72年前の広島、長崎の惨状を見れば、核兵器は絶対悪に決まっています。そして地球上からこの絶対悪をなくさなければ、あるものを使わないという安心感などは、けして生まれません。
安部政権で核の傘の抑止力という言葉こそ、最も日本に相応しくないのです。