自民党に一人でもまともな指導者がいたら、安倍自民党総裁はとっくに首をすげ替えられていただろう。
野党にまともな受け皿があれば、安倍自民党政権はとっくに解散・総選挙に追い込まれていただろう。
メディアが権力に忖度せずに本当の事を国民に知らせていれば、安倍内閣の支持率は限りなくゼロに近づいて、終わっていたに違いない。
いずれの一つでもあれば安倍政権は終わっていたのに、いまは、そのいずれもが無い。
それをいい事に、安倍首相はどこまでも逃げ切るつもりだ。
その大義名分こそ、自衛隊を明記するだけのごまかし憲法9条改憲である。
安倍首相はきのう6月24日に、神戸市で開かれた「正論」懇話会で、今秋にも開かれる臨時国会に自民党の改憲案を提案すると語ったらしい。
読売についで、こんどは産経だ。
国会という、すべての国民を相手した公の場から逃げ、取り巻き連中に囲まれた安全圏に逃げ込んで、好き放題を語る。
こんな意気地のない、情けない首相が、かつていただろうか。
その安倍首相が逃げ込む先こそ、自衛隊明記の憲法9条改憲だ。
そのスピードが毎日のように加速している。
それは取りも直さず、加計疑惑の追及の高まりからくる危機意識の裏返しでもある。
このまま受け身の防戦一方では追い込まれる。
そこから逃げ出すために、憲法9条改憲という一大事業を急いで、国民の関心を加計疑惑から憲法9条改憲にそらそうとしているのだ。
この安倍首相の9条改憲を甘く見てはいけない。
自衛隊合憲を明記するだけの改憲ならそれを否定するのは共産党ぐらいだ。
自衛隊合憲の改憲案に議論を集中すれば、民進党は分裂する。
そしてなによりも、予算という税金を投入してガンガン宣伝すれば、自衛隊合憲を明記する憲法9条改憲は、容易に国民投票で過半数の承認を得られる。
安倍首相を加計疑惑から逃がしてはいけない。
ましてや憲法9条改憲に逃げ込ませてはいけない。
それを阻止できるのは、憲法9条こそ最強の安全保障政策であると主張する新党憲法9条しかない。
冷戦後二十数年たったいまこそ、日本の正しい安全保障政策を正面から議論する時だ。
そうすれば、さすがの国民もきづくだろう。
いま憲法9条を変えてしまえば、米国の馬鹿げた戦争に巻き込まれて、日本は損な役回りをさせられるだけだと。
加計疑惑から逃げるために、自衛隊合憲を明記するなどというごまかしの憲法9条改憲に逃げ込む、そんな安倍首相を許すわけにはいかない。
逃がすわけにはいかない(了)
「専守防衛の自衛隊合憲」を明文化するとなると、9条の憲法解釈を閣議決定して、「海外どこへでも行使できる、集団自衛権、他国への後方支援、かけつけ警護」等を強引なやりかたで可能にした「安保法改正」と、はっきり矛盾するかと思います。
憲法無視の旧悪露見の矛盾をどうするつもりなのでしょうか。
国民が政権の権力暴走をとめるための憲法を、政権権力者が自ら改めようとする、まるで泥棒が法律制定するような国民と立憲主義無視の改憲論議を振りかざし繰り返す安倍政権やマスコミに、もう騙されてはいけませんね。
安倍の9条改憲論は、一見無害なように見えますが、ほかならぬ自衛隊が集団的自衛権を解禁された自衛隊であるだけに、その自衛隊を憲法のなかで位置づけてしまえば、9条は死文化すると思います。どのような条文を作ってくるかはわかりませんが、たとえば「ただし、どうしても必要なときに国として認められた最小限の自衛権を行使するために自衛隊を設ける」というようなものだとしたとき、「最小限の」等々の形容詞ではまったく歯止めが効かず、無限定の「自衛権」には集団的自衛権が含まれることなるでしょう。すると、世界でもっともよく戦争を始めてしまう国が戦争を始めたとき、ほかならぬ憲法によって日本も戦争を始める口実ができてしまいます。9条は生ける屍になってしまうと思います。ここを強調すれば安倍の9条改憲は阻止できると思いますし、ここに目をつぶれば改憲はバカバカしくあっさり決まってしまうかもしれません。