新党憲法9条

憲法9条それは希望

新党憲法9条構想の原点はこの緊急提言の中にある

 古い話で恐縮だが、2016年元旦の各紙はいずれも選挙特集を掲げていた。
 
 今年は選挙の年であり、それを見越した予定稿である。
 しかしこの記事ほど空しい記事はない。
 安倍政権が勝っても、万が一野党連合が奏功しても、日本は何も変わらず、国民生活が救われる保証は皆無である。
 政治の季節とは、すなわち既存の政治家・政党と、その争いを飯の種にする政治記者のなれ合いがはしゃぐ見世物でしかない。
 
 どうしても書いておきたいことがある。
 
 年末のテレビで野党政治家たちが野党協力について話し合う場面が映し出されていたことがあった。
 安倍政権の一強を崩せそうもない今の野党の話し合いは、本来は苦渋と緊張感を持ったものでなくてはならないはずが、なんとそこに楽しそうに笑顔を振りまいている某女性議員の姿が映し出されていた。
 
 嬉しいのだ。
 
 選挙の季節になって自分の出番が来ることがうれしいのだ。
 
 そこには、自らが犠牲になって国民生活の向上に少しでも貢献しようとする本来の政治家の姿勢は微塵も感じられない。
 勝っても負けても、野党に甘んじても、自分が政治家でいられる限り特権を手にしメディアに取り上げられ、政治の季節の中心に存在する。それが嬉しくてたまらないのだ。
 
 安倍首相のように政権を握って間違った政治を行う者は国民の敵だ。
 しかし、このように与党を批判し、政治の中心に居座り続ける野党議員もまた同罪である。
 しかも、この野党議員はついこの間まで政権政党の一員として、今の自民党の枢要なポストを占めていた。
 何もできないまま国民の期待を裏切って野党議員に戻り、再び政権を目指すという。
 
 私が今の選挙に興ざめなのは、それが既存の政党・政治家の権力闘争でしかなく、当選するかしないかという生き残りでしかない、彼らだけの虫のいい争いでしかないからである。
 
 以下は2011年5月17日と18日の二回にわたり、日刊ゲンダイに掲載された私の緊急提言「もうひとつの日本」の引用である。
 当時のメルマガを振り返ると、私は菅直人・民主政権をさんざん批判していた事が分かる。
 政権交代を期待して、民主党政権の誕生を歓迎し、様々な応援のメッセージを書いた後、見事に裏切られた末の私の民主党批判であった。
 
 そんな時に3・11が起きた。
 アラブの春が中東に広がって行った。
 
 その直後に私が書いた緊急提言である。
 ここに私が唱える新党憲法9条構想の原点がある。
 
 2016年は夏の選挙に向け政局一色になったが、繰り返し書いてきた通り、安倍自民党が勝っても、万が一野党連合が勝っても既存の政党・政治家たちが政治を独占する限り、日本は何も変わらないのだ。
 それほど今の日本の抱える問題は大きい。
 そして、既存の政党・政治家、彼らを操る官僚たちにこの問題解決できる能力はない。 
 重要なことは正しい政党・政治家を選び、正しい政権をつくることではない。
 いかなる政党や政治家が政権を握っても権力は腐敗し、官僚と一緒に国民を裏切る。
 
 重要なことは、権力が国民の願いに反する政治ができないよう、国民に代って権力を監視する政党を今の政治の中につくることだ。
 ウィキリークスの創始者であるアサンジュの言葉を借りれば、権力の不正・不正義を許さないシステムをつくることである。
 
 それを目指すのが「新党憲法9条」である。
 
 新党憲法9条が日本の政治の中で実現されるかどうかは、もちろん分からない。
 私一人で達成できるものでもない。
 しかし、その必要性に気づき、その実現に動き出す同志が出てくることを私は信じている。
 たとえ今の選挙でそのような動きが見られなくても、その後の政治の混迷の中から必ず出てくる。
 
 それは私の希望だ。
 
 そんなことを訴えながら、2011年5月の緊急提言を以下に紹介したい。

 
 
【緊急提言!】
 
我々の手で「もう一つの日本」をつくるしかない
 
1.国民を救えないこの国の支配者たち
 
 今度の大震災で明白になったことは、この国の支配者たちでは被災者を救えないということだ。しかし、この国の支配者たちが救えないのは被災者たちだけではない。
――沖縄県民は見捨てられたままだ。そして多くの弱い立場におかれた一般国民もまた切り捨てられてきた。
 
 実は、この国は今度の東日本大震災や原発事故が起きる前に既に行き詰まっていたのだ。
 支配者たちの失政と無駄遣いで招いた膨大な財政赤字に苦しみ、それを解決するという口実で導入された競争至上主義の結果、格差社会が進み、若者や女性、高齢者、低所得者、身体障害者などの弱い立場の国民が犠牲を強いられる国になってしまった。
 しかも、こともあろうに支配者たちは大震災の復興を口実に再び自分たちの手で増税し、日本を都合よくつくり変えようとしている。
 今こそ日本を愛する良識ある国民はこれら弱者に自らを重ね合わせ、声を上げなければならない。
 
2.支配者とは権力構造の中でいい目を見てきたすべての連中である
 
 私が言う「支配者」とは、戦後一貫してこの国を支配してきた自民党の政治家と官僚たちだ。しかし、政権交代を果たした民主党政権が権力を手にした途端、保身のために国民を裏切り自民党以上に権力を私物化してしまった。
 そんな政治家たちに面従腹背する官僚たちも、メディアで無責任な論評を繰り返す識者や評論家も、利潤追求に奔走するこの国の大企業も、皆すべて支配者なのだ。そして、なによりも、そのような日本の支配者たちともたれ合い、権力監視というジャーナリズム精神を忘れたこの国の大手メディアこそ、許しがたい支配者なのである。
 
 彼らが我々の収めた税金と国家権力を欲しいままにし、この国を行き詰まらせた。
 
 しかし、日本という国は彼らだけのものではない。大震災復興の復興計画という大事業を彼らに独占させ、彼らの支配を永久化させてはいけない。未曾有の大災害を活かし、この日本の権力構造を変えて正しい日本を取り返す。それを成し遂げることこそ、せめてもの被災犠牲者に報いることである。
 
3.原発事故があぶりだしたこの国の支配体制の病理
 
 今度の大震災は図らずも、原発推進という国策の裏に隠された権力犯罪を白日の下にさらした。それは、支配者たちが権力にまかせて利権を山分けし、その悪業を隠すために情報を操作隠蔽し、協力者を買収し、歯向かう者をイジメ、弾圧するといった警察、検察、司法までも歪めた国家ぐるみの卑劣な犯罪のことだ。
 
 権力犯罪は何も原発政策に限らない。およそこの国のあらゆる国策は一般国民のためではなく、支配者たちのために支配者たちの手でつくられ、そして支配者たちの巧みな宣伝によって正しいものとされてきた。その背後には日本を占領し、日本を利用し続けてきた米国の存在がある。
 
 この支配構造を変えることは至難の業だと我々はあきらめてきた。そのあきらめは政権交代が起きて歓喜したのもつかの間、何も変わらなかったことで絶望的になった。
 しかし、大震災と原発危機は、もはや一般国民も立ち上がらなければどうにもならない状況に日本を追い込んだ。新しい主役と新しいシステムを見つけないと日本の未来はないことを教えてくれた。
 
4.行動を起こす事とは、「もう一つの日本をつくる」ことである
 
 ――もう議論はよそう。
 ――権力批判を繰り返しても空しい。
 ――「行動を起こす」しかない。
 
 私が言う「行動を起こす」ということは、権力者から権力を一気に奪い取ることではない。それは革命であり、民主国家の日本では非現実的だ。国民の共感も得られない。
 
 私の言う「行動を起こす」ということは、この国の支配者たちが独占してきた権限と予算を、震災復興のために被災者たちにその一部を与えよと要求し、それを勝ち取ることである。
 
 たとえ一部といえども、権力者が予算と権限を一般国民の分け与えるなどということは平時ではありえない。しかし今は大震災という未曾有の異常事態だ。おまけに原発事故という人災が被災民を塗炭の苦しみに追い込んだ。被災民の怒りの前にはいかなる支配者もその要求を拒むことはできない。被災者が自分たちの手で行なう復興計画が、この国の支配者たちが行なう復興計画よりも迅速、効果的であるのなら国民は気づく。もはや政府も国会議員も霞ヶ関の官僚も要らない、と。そして被災者たちの復興に続けとばかり、全国の地方自治体が同様の動きを見せるだろう。そうしてはじめて「もう一つの日本」がうねりをたてて拡がっていくのだ。
 
 5.キーワードは脱原発、共生社会、世界都市である
 
 原発事故の被害にあった住民が真っ先に進めるべきは、脱原発エネルギーの町づくりである。生活に必要な電力需要をコミュニティーで安く安全に確保し、住民に供給できる町づくりを政府から予算を確保して実現する。これである。
 
 「脱原発エネルギーの町づくり」が成功すれば、その後の可能性は無限に広がる。
 
 「もう一つの日本」のコンセプトは、この国の支配体制が当然視してきた効率優先の競争社会、地位や名誉や待遇にこだわる生活、そういう既存の価値観に押しつぶされない人生もまた主権を持つ社会である。
 
 それは決して既存の価値観を否定するものではない。既存の生き方に価値を見出し、競争社会に勝ち抜いて行くことのできる恵まれた者たちはそういう生き方をすればいい。しかし、それができない、したくない者たちの生き方もまた等しく認められる社会をつくることである。
 
 その根底にあるのはベーシックインカム制度(無条件の所得保障制度)の思想である。支配者たちがつくった年金制度や社会保障制度は既に破綻している。その解決策を彼らは見つけられないままいたずらに年月を費やしてきた。
 
 それに代わってベーシックインカム制度を導入するのだ。面倒な手続きや審査をなくし、すべての住民が当然の権利とし最低収入を手にする制度を現実のものとするのだ。こうして最低限の生活が保障されれば、さらなる収入を求めて仕事を探す余裕ができる。これである。
 
 職については、地方議会や地方公務員の職を住民の全員に開放する、といった考え方を導入する。つまり、その地方政治の職を地方政治家や地方公務員に独占させるのではなく、ローテーションを組んで住民が分かち合い、その収入も分かち合うという考えである。これこそが地方議会改革、地方公務員制度改革の究極の姿である。
 
 漁業と農業をコミュニティー全体で立て直し、住民がその職を分かちあう。今度の被害をきっかけに、国民が国産の食糧を優先して買うようにすれば地域の収入にもなる。
 
 今度の大震災は世界中の注目と同情を集めた。特に原発事故については、脱原発を目指す気運が世界的に高まった。脱原発を唱える世界の影響力のある人たちに向かって、日本の被災地から脱原発の町づくりをしますと宣言し、それに協力して欲しいと呼びかけるのだ。そうして世界の一流企業の誘致を行なう。利害を超えて協力する優良企業は必ず現れる。それを誘致することは雇用創出になり、何よりもその地域を世界的に魅力的なものとする。
 
6.後藤新平は要らない
 
 関東大震災を復興させた後藤新平にちなんで「平成の後藤新平」の再来を望む声がさかんに喧伝される。それこそが支配者たちの発想である。
 
 そんな声は、はっきりと否定しよう。
 上からの命令で復興させてはいけない。平成の大被害は我々の手で克服するのだ。被災者が立ちあがり、その声を政府に届け、被災者を代表して政府と渡りあえる首長を見つけるのだ。
 
 有力な著名人や経済人がこの動きに参加するようになれば「もう一つの日本」づくりは大きなうねりとなるに違いない。たとえば脱原発に目覚めたソフトバンクの孫正義社長、政権交代に尽力したがその民主党政権に失望した稲盛和夫京セラ創業者、「原発に頼らない安心できる社会の実現という考えを実践した吉原毅城南信用金庫理事長などは「もう一つの日本」づくりの協力者にふさわしい人物である。
 
 7.エジプト市民に出来て、我々に出来ないことはない
 
 日本の変革は、これまで権力の外に置かれてきた者たちの手で成し遂げなければならない。鉄のように強固な支配体制にくさびを打ち込み、それをきっかけに真の民主国家に生まれ変わる時だ。
 
 それはあたかもエジプトで起きた市民革命の如きだ。あの時エジプトの市民は、「一人一人が心から国を変えたいと思った。ここにいる皆がヒーローだ」と語った。
 
 エジプト市民が成し遂げたことを我々ができないはずはない。
 
                              引用終わり

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