倉持麟太郎という弁護士がいる。
蓮舫参議院議員の二重国籍問題で担当弁護士を務めたり、山尾志桜里衆議院議員との不倫疑惑が取りざたされた弁護士というから、野党(立憲民主党)に近い弁護士と思われる。
これだけでは、彼の考え方がどのようなものであるかは分からない。
しかし、少なくとも次に紹介する彼の発言は、まさしく私の考えと同じだ。
与党議員も野党議員も、既存の選挙制度の下で生まれる政治家たちは国民の為の政治をする事は出来ないと、次のように言っている。
すなわち、今の議員にとって、選挙と政党はひとつのビジネスなのだと。
選挙で勝つためには、どこかの政党に属し、その政党の支援が必要であり、その一方で、その政党は政治に関心のある市民の目を気にしなければいけないと。
つまり選挙がビジネスになっているから、政党も政治家も自分の思ったことを自由に言えなくなっているというのだ。
これを倉持弁護士は、「選挙の奴隷」になっていると表現している。
そして、政党も政治家も、選挙に勝つためには人を動員しなければいけないから、政治に関心のある市民の支援が必要になり、逆にそのような市民は政党や政治家にくっつき、それをマスコミが喧伝する構図が出来上がっていると喝破している。
つまり政党・政治家と政治に関心のある市民、そして政治マスコミが、互いに補完関係にあるというのだ。
ありていに言えば、もたれあいである。
その一方で、大多数の一般国民の意識はと言えば、信用できない機関として1位が国会議員、二位がマスコミという世論調査があるほど、政治は敬遠されているという。
世論調査によれば、政治参加経験のない人が9割を占め、「政治はやりたいものにまかせておけばいい」と考え、政治とのかかわり合いは選挙だけで十分だと考えている事がうかがえるという。
それをいい事にして、だからこそ、与党議員も野党議員も、自分たちだけで政局に明け暮れる事が出来るのだ。
おしてそれを政治メディアが自分たちの飯のタネと言わんばかりに書き立てる。
だからと言って倉持氏は民主主義を否定するわけではない。
むしろ民主主義の多様化を薦めている。
もう政治家に任せていてはだめだ、僕ら一人ひとりがデモクラシーの担い手にならなければいけないと。
まさしく、私はあなただ、あなたは私だ、という考えだ。
しかし、倉持氏が触れない事がある。
政治家が機能していないというのなら、政治家の給与や特権を国民に返上しなければいけないと言うべきだ。
政治家はこんなにたくさん要らないと言うべきだ。
本気で国民の為に政治をするつもりなら、よほどの能力と無私の使命感が必要だ。
しかし、現実は皆が競って政治家になろうとしている。
コロナ危機で国民がその日の暮らしを心配するようになっているというのに、その痛みを共有すべく、給与を削減すると言い出す国会議員が一人も出て来ない。
民間人や民間企業ですら、それを言い出し、実践する者が出て来たというのにである。
日本の政治家は役立たずの割には恵まれ過ぎている(了)
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