きょう3月3日の日経新聞が、習近平訪日延期の裏に隠された中国の思惑を教えてくれた。
ちなみに、習近平主席が「訪日」するのか「来日」するのかについては言葉の選択で混乱が見られるが、ここでは日経の記事に従って「訪日」としておく。
日経のその記事によれば、中国はみずから起こしたコロナウィルスが収束できず訪日を延期したと受け止められるのを避けて、日本がコロナウィルス対策に追われて受け入れ準備が整わず断って来た、という形にしたかったという。
なるほどこれなら合点が行く。
中国がやたらにコロナウィルス対策が万全だと繰り返し、コロナウィルス対策の為に日本に支援を惜しまないと優しい態度を見せるのも、自分たちは危機を克服した、延期されるとしたら日本側の都合だということを内外に示したかったからだ。
そして、日本側は、招待した以上、日本側から先に延期を申し入れることは外交的に非礼だから言い出せないという状況にある。
どちらも言い出したくない、言い出せない中で、ついに日本側から先に事実上の延期を報道でなし崩し的に発表した。
これを知って私は中国が怒るだろうと最初は思った。
ところがそうでもなかった。
なぜだろうといまでも疑問に思っていたら、きょうの日経新聞の記事を読んでやっと合点が行った。
中国側としては日本が先に発表してくれてよかったのだ。
いや、きょうの日経によれば、日本はまんまと中国側の思惑に乗せられたということだ。
考えれば我慢比べは日本と中国との間でもうしばらく続けられたはずだ。
日本側は、招待したほうから延期は言い出せないと言っておけばよかったのだ。
中国側は、日本に対する非礼を顧みないなら、直前になって、「やはり行けなくなった」という事も出来たはずだ。
しかし、この我慢比べは、どうしても受け入れ側の日本に不利だった。
なぜなら受け入れ側の日本にとっては準備の都合があるからだ。
ましてや国賓だから天皇陛下を煩わす事になる。
いつまでも未定のままでいるわけにはいかなかったのだ。
それのデッドラインはいつか。
それを押し終えてくれたのが、きょう3月3日の共同通信(地方紙)の記事である。
すなわちいわゆる「1カ月ルール」があるからどうしても3月6日までに決定しなければいけなかったのだ。
この1カ月ルールとは、天皇陛下を巻き込む国賓外交については準備の都合上、原則として訪日1カ月までに訪日するかしないかを外務省は宮内庁に決定して通報しないといけない、というルールの事だ。
宮内庁はこのルールをあたかも天皇陛下の都合を盾に絶対的なルールのように外務省に押し付け、外務省もそれを尊重せざるを得なかった。
私もアフリカ課長の時、散々苦労させられた。
しかし、これはあくまでも慣例であり、そうしなければいけないという成文化された法令、規則ではない。
宮内庁官僚の仕事の都合を優先したルールなのだ。
そこで思い出されるのは2009年に習近平主席がまだ副主席の時に日本に招待した時の一大事件だ。
あの時習近平氏はもうすぐ主席に昇格することが決まっていた。
その習近平氏が訪日を希望し、天皇陛下への謁見を希望した。
それに打てば響くように応じようとしたのが民主党政権下の小沢一郎だった。
結果的には小沢一郎の剛腕で天皇陛下への謁見が実現されたが、あの時1カ月ルールを破った、天皇の政治利用だ、などと散々叩かれた。
しかし、そんな批判こそ外交的に間違った対応だったのだ。
小沢一郎の判断のほうが正しかったのだ。
後に主席となった習近平氏は、あの時天皇に謁見できたことを感謝したに違いない。
これほど効果的で安上がりな戦略的な外交はなかったのだ。
それに、天皇陛下自身が、やがて中国の主席になる習近平副主席をあの時謁見することを喜ばれたに違いないのだ。
この硬直した「一カ月ルール」に今度も縛られるため、もし4月6日からの習近平訪日を断行するなら、今週末の3月6日までに結論を出さなければいけないのだ。
だから日本側は焦ったのだ。
日本側から延期を言い出さなければいけなくなったのだ。
駆け引きに負けたのだ。
やがて発表される公式発表では、日中共同発表、あるいは日中同時発表と言う形で行われるだろう。
そしてその発表ぶりは、日中双方で慎重にすりあわせ、どちらの都合で延期されたかはわからないようになるだろう。
しかし、その裏に隠された実態は、中国の思惑どおりに事が進んだということだ。
一カ月ルール縛られた日本が、先に言い出すしかなかったのである(了)
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