きょうの各紙が小さく取り上げた。
オマーンのカブース国王が死去したと。
このニュースを知って驚いた。
そしてあたらめて思い知った。
安倍首相の今回の中東訪問は、やはりはじめから、日本側の都合で押し掛けた、正月休みの息抜き外遊だったのだと。
そんな不要不急な外遊だから、米・イランの対立激化で一時は見送らざるをえなくなったのも当然だった。
しかし、危機が一回避されたのを見て、予定通り決行した。
国際社会に自制を求めるためだ、サウジにイランとの対話を促すためだ、などという、とってつけたような理由を並べて。
しかもおよそ中東訪問には不適当と思われる昭恵夫人同伴で。
私はこの中東訪問の決行の裏に、トランプ大統領の要求があったに違いない、と勝手に推測した。
それならまだ理解できる。
しかし、もしそんな圧力が一切なく、自分の判断で決行したなら、とんでもないいかさま外遊だということになる。
せっかく正月休みを利用して日本を離れ、外遊に逃げ込めると思ったのに、取り止めるのはもったいないと思ったのだ。
たとえそうであるとしても、オマーンを訪問国に入れたのは非礼にもほどがある。
カブース国王は1970年以来50年もの間オマーンの国王であり続けた、いわばオマーンにとっては象徴ともいうべき国王だ。
その中立的な外交で、オマーンを中東ではめずらしい安定的な国にしてきた。
私がオマーンをはじめて訪れたのは80年代のはじめにサウジアラビアに勤務していた時であるが、その時からカブース国王のオマーンだった。
日本とは終始友好的だった。
そのカブース大統領が、長年の闘病に苦しんでいたのだ。
いつ死去してもおかしくなかったのだ。
それを外務省が知らないはずがない。
それにもかかわらず安倍首相はオマーンを今度の訪問国の中に入れ、しかもこの期に及んでも、訪問国から外そうとしなかった。
カブース国王と会談できるとでも思っていたのだろうか。
安倍首相がオマーンを訪問する頃は、オマーンは国を挙げて喪に服している時だろう。
そんな時に、のこのこ出かけて行き、自らの仲介外交を宣伝する。
これほど非礼で厚かましい事は無い。
それとも、カブース国王の死去を想定して、仲介外交と弔問外交をまとめて一緒にしようとしたのだろうか。
それならもっと非礼だ。
なぜメディアはカブース国王の死去を報じるニュースの中で、安倍首相の今回のオマーン訪問の判断は不適切だったと書かないのだろう。
しょせん日本にとってオマーンと言う国はどうでもいい国だと言う事なのか。
いずれにしても、安倍首相の地球儀俯瞰外交は、ここまでいい加減な外交であるということである(了)
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