年明けの報道はゴーン逃亡事件で埋め尽くされた。
そしてそれはこれかも続くだろう。
それほどこの事件は日本にとって衝撃的であったということだ。
もちろん、一番衝撃を受けたのは日本政府だ。
なにしろ、この国の検察・司法が世界の前で大恥をかかせられたからだ。
その一方で、日本国民も興味津々だ。
エキゾチックな中東の国が舞台になっている事も手伝って、まるでスパイ映画を見ているようだからだ。
実際のところ、このゴーン逃亡事件は、実に多くの観点から、我々に見どころを提供してくれている。
私が指摘したように、日本政府とレバノン政府の外交駆け引きもそのひとつだ。
その報道をみると日本政府に勝ち目はない。
ちなみに、私がレバノンに大使として着任した2001年2月の最初の仕事は、1972年にイスラエルのテルアビブ空港で乱射事件を起こした日本赤軍のひとりである岡本公三の身柄を日本へ引き渡す交渉であった。
歴代の大使が真っ先に命じられてきた仕事だ。
しかし、レバノン政府は英雄視されている岡本の引き渡しには頑として応じなかった。
ゴーン逃亡事件を見る観点は他にもある。
日本のメディアと世界のメディアの報道ぶりの違いもそのひとつだ。
司法の専門家たちは、やすやすと国外逃亡を許したこの国の保釈制度の甘さを指摘する。
金儲けを悪と捉える日本人にとってはゴーンは稀代の悪者だが、金儲けは当然だと考えるレバノン人にとってはゴーンは英雄だ。
要するに、見る人によってゴーン逃亡事件の受け止め方はさまざまなのだ。
そして、私の観点は、きょう1月3日の東京新聞「本音のコラム」でジャーナリストの北丸雄二氏が書いているものと同じだ。
「欧米の司法ドラマでは被疑者が取り調べを受ける際に『弁護士を呼べ』と言うとそこで聴取が中断します。やがて弁護士が現れ、尋問の一々に、答える、答えない。をクライアントに指南します。日本の刑事ドラマにはこんな場面はありません。取調室には刑事と被疑だけ・・・」
こういう書き出しで始まる「推定有罪の国」と題するそのコラムがいわんとしていることは、ゴーン捜査が有罪ありきの人質司法とみなされる一方で、伊藤詩織さんへの犯罪立件を見合わせたこの国の検察・司法の不透明さに、世界は疑惑の目で見ている、というものある。
私もこの視点がゴーン事件を見る上で最も重要な点であると思う一人である(了)
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