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カルロス・ゴーンにしてやられた安倍政権

 今度の年末年始は、スクープもなければ興味ぶかい特集記事もなかった。

 ネタに困った年末年始になりそうだ。

 そう思っていたら、電撃的なニュースが大晦日に飛び込んできた。

 いうまでもなくカルロス・ゴーン氏の日本脱出だ。

 このニュースを私が耳にした時、「してやられた!」と思わず膝を打った。

 やられてみてはじめて、「確かにこの手しかない」、そう私は思った。

 そしてそれはレバノンという国に勤務して来た私だから抱いた思いだ。

 レバノンという国は、我々が考えるようないわゆる主権国家ではない。

 国の統治が三つに分断されている。

 すなわちキリスト教、イスラム教シーア派、そしてイスラム教スンイ派の三つに国の統治が分かれているのだ。

 そしてその三つ宗派が国民を三分割し、国民は国家よりも、それぞれの宗派の結束を優先する。

 具体的に言えば、それぞれの宗派が、大統領、首相、国会議長の三つのポストを分担することが慣例になっているのだ。

 しかも、その三つのポストは、いわゆる議会制民主主義による枠割分担があるいわけではなく、三人とも同じように、国家権力のすべに関与し、権利の奪い合いをしているのだ。

 そのような国では何が起きているか。

 自分の権利を守るのは法の支配ではなく、自らの宗派の力だということだ。

 ゴーン氏はキリスト教レバノン人だ。

 だから彼はキリスト教派が占めるレバノンの大統領に訴え、大統領はゴーン氏を守る。

 他の宗派は、それが自分たちの利害に関係ないなら口を挟まない。

 つまりゴーン氏は、レバノンの政府の支援と協力を得て「日本の不当な逮捕、訴追」から逃亡したということだ。

 しかもレバノンは戦乱続きの国だ。だから皆いくつもの旅券を持っているのが当たり前になっている。

 いつでもどこかの国に避難、逃亡できるようにだ。

 そして戦乱は法の支配より自らの命を優先する国民を育んだ。

 自らを守るには金がすべてだという意識を生んだ。

 まさしく今度のゴーン氏のプライベートジェットによる逃亡劇は、レバノンならではの逃亡劇だったのだ。

 そして今度の逃亡劇で最後につけ加えなければならないのは、レバノンと政府と日本政府の関係の希薄さだ。

 レバノン政府は決して日本政府に良い感情を持っていない。

 なぜならば、日本政府がレバノンという国を、統治能力のない、外交的に役の立たない、つまらない国だと、軽視して来たからだ。

 レバノンという国が、中東情勢の情報の中心地であり、フェニキア人が祖先であるレバノン人が、ユダヤ人と並んで中東の最も優秀な民族であるというのに、である。

 しかもレバノンと日本との間には犯罪人引渡し条約はない。

 ゴーン氏を日本に連れ戻す事は出来ないのである。

 もはや裁判はできなくなった。

 そして裁判が行われないとなればゴーン氏は犯罪人でなくなる。

 ゴーン氏は日本で受けた扱いを徹底的に批判するだろう。

 それは結果的に安倍政権に跳ね返ってくる。

 ゴーン事件は司法取引によって西川前社長が検察・司法と組んで陥れた事件だったと言いふらすだろう。

 日産をルノーの支配から自立させたい西川社長が、検察と組んで自分を嵌めたと批判するだろう。

 何よりもゴーン氏は、日本は法治国家ではない、日本の司法は正義を実現しない、と非難するだろう。

 そう批判されたら、安倍首相はひとたまりもない。

 なぜなら、」安倍政権の7年間で日本の司法がすっかり法の支配を捨て去ってしまった事を、日本国民はもとより、いまや世界中が知るようになったからだ。

 令和元年早々、安倍首相はまたひとつ頭の痛い事件に見舞われたという事である。

 というわけで、今年もまた、書くことに困らない年になりそうです。

 今年もまた、体力と気力が続く限り、ない頭を絞って、私にしか書けないような記事を書き続けたいと頑張ります。

 今年も引き続きよろしくおつき合い願います(了)

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