かんぽ生命保険の不正販売問題から始まった日本郵政の大騒ぎは、郵政グループトップの総辞任でひとまず幕引きとなった。
しかし、そもそも、なぜあのような不正が起きたのか。
それは長門正貢日本郵政社長の辞任の弁が端的に物語っている。
厳しい現状の中で最善を尽くしたが力不足だったと。
あしもと(現場)の把握が足りなかったと。
民営化とは市場原理にさらされることだ。
職員は収益を上げるためにノルマを課せられる。
その結果としての不正だったことは既に報じられている通りだ。
しかも、郵便にしても、金融・保険にしても、民間との過当競争ははじめから分かっていた。
民間圧迫になるとさんざん言われた。
なぜ郵政民営化をしなければいけなかったのか。
それを強引に推し進めたのが小泉純一郎首相だった。
いまこそ小泉純一郎首相を引っ張り出して、郵政民営化は正しかったのか、その是非について議論をし直す時だ。
誰もがそう思うだろう。
しかし見事にメディアはそれを封印している。
あの時メディアも一緒になって小泉郵改革を持ち上げたからだ。
そう思っていたら、きのう12月27日の日経新聞に一段の小さな記事を見つけた。
小泉純一郎首相が26日のテレビ番組で日本郵政グループの引責辞任についてこう語ったという。
「徹底した民営化の会社だという方向で立て直してもらいたい」と。
「改革を中途半端にしてしまった。国家でないと出来ない事業ではない」と。
民営化の努力が足らないと言っているのだ。
もちろん私はその番組を見ていないが、その時、司会者や出演者はどう反応したのだろうか。
出演させるぐらいだから、おそらく小泉批判は封印されていたに違いない。
今になっても小泉首相は批判されないのだ。
安倍首相をここまで悪しざまに批判する野党や国民も、小泉純一郎首相は批判しない。
そこで思い出すのが平成の最後に行った読売新聞の世論調査だ。
平成の三十年を振り返って一番印象に残る人物に、なんと天皇陛下(いまの上皇)を抜いて、ダントツが小泉純一郎首相だった。
そのことを当時のメルマガで私は驚きをもって書いた。
小泉純一郎にはかなわないと。
元祖小泉批判の私が言うのだから間違いない。
小泉純一郎の人気が続く限り小泉進次郎の人気は終わらない。
小泉進次郎のスキャンダルを書いた週刊文春も、今度ばかりは売り上げを落としたに違いない(了)
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