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アラブの春の最後の主役のひとりの死を悼む

 私の限られたレバノン勤務の二年半分だけで、中東の政治を知ったなどと大それたことを言うつもりはない。

 しかし、中東のすべての国の政権が、その帰趨を米国とイスラエルに握られているという不正義な現実を垣間見たことだけは確かだ。

 いまから8年ほど前に中東に「アラブの春」という民主化の嵐が巻き起こったことがあった。

 ちょうどそのころ、日本が3・11が起きて混乱していたからよく覚えている。

 アラブの春はいまでは忘れさられた「失敗」という事になっている。

 その実態は国によってまちまちであり、その背景についても様々な憶測が当時指摘された。

 それでも、「アラブの春」は、軍事政権や独裁政権に弾圧され続けたアラブの国民が、自らの権利を取り戻そうとした民主化の動きであったことは間違いなかった。

 しかし、その期待は見事に裏切られ、アラブの春の当時の主役は、あるいは投獄され、あるいは失脚して、アラブの春の後には混乱と、非民主政権の復活と、絶望だけが残った。

 そして、その主役の最後のひとりが亡くなった。

 エジプトのモルシ元大統領がスパイ罪の公判中に、法廷の場で意識を失って死去したときょうの各紙が報じた。

 モルシ大統領はアラブの春で失脚したムバラク大統領の後を受け、エジプト近代史上初の選挙で選ばれた大統領だった。

 しかし、イスラム色の強い政策を打ち出して世俗派の反感を買った。

 そして、軍事クーデターによって倒されスパイ罪で投獄された。

 その罪の公判中に死去したのだ。

 遺体は出身地に戻す事が許されず、治安機関は暴動を警戒して埋葬を急いだという。

 モルシ大統領の支持母体であるムスリム同胞団は、すかさず、「モルシ氏には持病があったにもかかわらず、必要な治療を受けさせなかった」と非難声明を発した。

 なぜ「アラブの春」は中東に民主化をもたらさなかったのか。

 その理由の一つとして、軍事政権や王族政権といった非民主政権に失望した国民を救済するはずだったイスラム原理主義政権もまた、世俗的自由を求める国民の期待には応えられなかった、ということがある。

 しかし、もう一つの大きな理由がある。

 それは、中東を支配し続けようとするイスラエルと米国が、中東の民主化を決して認めないからだ。

 中東が民主化されれば、イスラエルや米国への反発が強まり、イスラエルや米国が思うように中東を支配できないからである。

 ムルシ大統領の失脚と獄中死は、その事を教えてくれている。

 そしてムルシ氏の死はアラファトの死を私に想起させてくれたのである(了)

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