きょう5月8日の朝日で、編集委員の国分高史編集委員が河野道夫さん(76)という人物について教えてくれた(多事奏論)。
河野さんは、自・社・さ連立政権の首相になった村山富市氏の首相秘書官だった人だという。
その村山首相は、1994年7月20日の衆院本会議の代表質問に対し、「私としては専守防衛に徹し、自衛のための必要最小限度の実力部隊である自衛隊は、憲法9条の認めるものであると認識するものであります」と答弁した。
この事を国分編集委員は次のように書いている。
「自衛隊は違憲との立場をとってきた社会党委員長の、歴史的な政策転換だった」と。
「これはまた、戦後長らく続きた国会での自衛隊をめぐる憲法9条論争に、事実上の決着がついたことを意味した」と。
社会党はその年の9月に臨時党大会を開き、村山首相の路線転換を党の方針として追認する。
その時、河野さんは、村山答弁を追認する執行部案に反対し、内閣と党の政策に違いがあってもいいとする修正案を出した議員たちを裏で支えたという。
つまり、連立政権の経験を積んだ西欧では、政権の方針と各党の政策に違いがあって当たり前。自民党だってそうだ。だから社会党も「自衛隊違憲論」を変えなくてもよかった、村山答弁を追認しなくてもよかった、と主張したのだ。
私もそれが正しかったと思う。
しかし、内閣と党の方針を使い分けては野党に攻められ、「首相が持たない」との追認派との激しい論争の末、河野さんたちは破れる。
そして社会党は、1996年1月の村山首相の首相辞任後、党名を社民党に変えるが、社民党は民主党へ移る者と、社会党の方針を貫く新社会党の三つに分裂し、衰退していく。
河野道夫さんは、2002年の60歳定年まで社民党に勤めた後、自らの信念を貫く道を歩み出したという。
すなわち、翌年に単身渡英し、スコットランドのアバディーン大学で国際法を学び始めた。
そのきっかけは、村山首相の中東歴訪に同行した際、パレスチナの厳しい現実に「なぜ国際法は中東問題を解決できないのか。なぜ平和憲法を持つ日本は何もできないのか」と疑問を抱いたからだという。
国連憲章の制定過程を調べ上げ、対テロ戦争と国際法の矛盾を指摘した論文で2008年に修士号を取り、学んだことを実践したかったが、「日本人がひとりパレスチナに飛び込んでも何も出来ない」と気づいて、沖縄ならできると、2011年に読谷村に移り住んで、いまは辺野古の新基地反対運動に身を投じているという。
これだけでも私にとっては尊敬に値するに十分だが、私がもっとも共感を覚えたのは次の河野さんの言葉だ。
「憲法の精神と理念の実現できる世界をめざし、国際協調体制の確立と軍縮の推進を図りつつ、国際社会で名誉ある地位を占める事が出来るように全力を傾ける」
これは、村山首相が自衛隊合憲を認めた答弁の中で、同時に「もう一度お聞きください」と強調して、続けた決意であるという。
それを書いたのはもちろん河野道夫さんだ。
その決意が忘れさられてしまっていることが残念でならないという。
そして河野さんは次のように今の政治に失望する。
「安倍改憲に異を唱える議員は与党にも野党にもいるけれど、武力に依存しない国際関係を築く9条の理想や軍縮を真正面から訴える政治勢力は、わずかになってしまった・・・」
わずかどころか、私に言わせれば皆無だ。
私は河野道夫さんこそ新党憲法9条の名誉会長にふさわしい人物だと、この朝日の国分編集委員の記事を読んで確信した。
誰か私を河野道夫氏に紹介してもらいたい。
読谷村まで訪れて、新党憲法9条構想について語り合いたい。
そして賛同いただけるなら、三顧の礼で名誉会長就任をお願いしたいと思っている(了)
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