新元号「令和」の名付け親とはやくから噂された国文学者の中西進氏が、新元号が発表された後で、最初に口を開いたのは4月12日の東京都内で開かれた市民講座だった。
翌日の4月13日には、各紙が一斉にこの時の中西進氏の発言を報道した。
すなわち、自分が考案者かどうかは明言しなかったが、令和はいい名前だと語ったと。
命令の令だという指摘はこじつけだと語ったと。
そして返す刀で、中国古典の「文選(もんぜん)」に類似の文章があるがという質問に対して、「くらぶべくもない。冷静に考えると万葉集を出典とするのいい」と答えたというのだ。
私はこの報道を見た時、非常に驚いた。
なぜならば、元号の名づけに関する発言は、揣摩臆測を呼ぶに決まっているから、普通ならノーコメントを貫くはずだからだ。
そして中西氏は安倍政権に批判的だと見られていたからだ。
中西氏の心境に何が起こったのだろう。
そう思っていたら、その後も中西氏はメディアに出ずっぱりだ。
最初に引っ張り出したのはNHKの早朝のニュースだった。
今度は講演ではなく直接のインタビューだった。
そして同じ事をくり返した。
この時点で私は確信した。
何らかの事情があって、もはや中西氏は「令和」の広告塔になってしまったのではないかと。
そして、極めつけはきょう4月17日の読売新聞だ。
ほぼ一面を使って読売新聞がインタビュー記事を掲載した。
そこに書かれてる事は、これまでの中西氏の発言の集大成ともいえるものだ。
令和の絶賛であり、聖徳太子の17か条の憲法を引用し、令和は「和をもって貴しとせよ」を思い浮かべる、とまで語っている。
安倍首相は新時代を「和」の時代にしたいと言わんばかりだ。
もはや中西進氏に何が起きたかどうかは、どうでもいいことだ。
そして令和がいいかどうかが問題ではない。
重要な事は、令和の時代が良い時代になるか悪い時代になるかである。
そして間違いなく「令和」の時代は「平成」より厳しいものになる。
そして安倍政権が続く限り、それに正しく対応できないということだ。
いや、安倍政権の負の遺産を引き継いだ後継政権は、どのような政権になろうとも、苦しむ事になる。
いま我々に求められている事は、与野党を超えて、そして官民を問わず、国民全体でその事を真剣に考え、どうすればよい時代に出来るかである。
その時は待ったなしに来ているのである(了)
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