新元号の名前が発表される4月1日が近づいて来た。
それにともなって、新元号の名前に安倍首相が自分の名前を使うのではないのかという憶測が加速してきた。
憶測の中には、安倍永久政権を先取りして、安倍の安と永久の久の二文字を使って「安久」とするのではないかというものもある。
ここまで来れば本物のお笑いだ。
お笑いついでに言えば、4月1日はエイプリールフール(4月馬鹿)だ。
何を言っても許される。
しかし、私は、安倍首相が自らの名前を新元号に使う事は100%ないと思っている。
そこまで安倍首相は恥知らずではないと思うからだ。
それに、安倍首相の時代は、どう考えても「失われた日本」の時代として歴史に記録される。
思い出すだけでも腹立たしい時代になる。
だから新しい時代の元号に、もし安倍首相を思い起こす名前が一字でも使われると、その時代が続く限り、嫌でも安倍失政が思い出され、「この野郎」と、ののしられる事になる。
いくら安倍首相でも、そんな愚かなことはしないと思うからだ。
ところがである。
ここにきて、その100%ないと思われる事が、ひょっとしてあるかもしれないと思わせるニュースが出て来た。
すでにお友達を有識者の中に入れて新元号をとっくに決めているに違いないのに、政府はあらたに国文学の学者らに新元号の命名を委嘱している。
すなわち、吉岡秀弥内閣参事官はきのう13日の参院予算委員会で、元号の考案者について「国文学、漢文学、東洋史学などの学識を有する方の中から委嘱する」と答弁したらしい。
これは安倍首相が勝手に決めているわけではないというめくらましだ。
そう思っていたら、きょう3月14日の読売新聞は一面トップで報じた。
政府は1989年1月に元号を平成に改めた経緯に関する公文書について、本年3月末までに原則公開しなければいけなかったにもかかわらず、公開を先延ばしする方針を固めたと。
その理由がふるっている。
期限を延長しなければ5月1日の改元に混乱をきたすからだという。
おそらく30年前の改元の時は、首相の意向など入り込む余地はなく、専門家や学者に委ねられていたに違いない。
ところが、今回はあまりにも安倍政権主導で行われた。
その比較が浮き彫りになれば大騒ぎになる。
新元号の私物化だと言われかねない。
それを恐れたのだ。
そこまで策を弄するということは、ひょっとして安倍首相は本気で自分の名前を使おうとしているのかもしれない。
それでも私は新元号は安倍首相の名前と無縁だと思うが、いつもは関心のないエイプリールフールも、今年に限っては目が離せない(了)
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