きのう(1月30日)ときょう(1月31日)の二回に分けて、朝日新聞の経済面で「亀井静香の挑戦」と題する連載記事が掲載されている。
その記事は、私も知らなかったのだが、政界を引退した亀井静香が、いまや太陽光発電事業を始め、実業家に転身したことを教えてくれている。
その記事の中で、同時に私は次のような興味深い背景を知った。
あの東日本大震災の時、菅直人民主党政権と連立を組んでいた亀井静香国民新党代表の亀井静香は、副総理への就任を菅直人首相から頼まれて、こう応じたという。
「原発対応はすべて俺に担わせろ。それができるか?」と。
バラバラな民主党政権をまとめるためには、「脱原発」に強い決意で取り組む必要があると考えていたからだという。
菅直人は、「それはできません。原発は細野に任せます」と答え、それなら「副総理は受けられない」となって、この話はなしになったというのだ。
朝日の記者はこう書いている。
「報道各社には『亀井が副総理を固辞した』と伝わったが、首を縦に振らなかったのはむしろ菅の方だった」と。
もともと原発容認派だった亀井は当時を振り返ってこう朝日の記者に語っている。
「石油はいずれなくなる。電力会社が(原子力発電が)最もいい方法だと言っているんだからいいじゃないか」と思っていたと。
ところが大震災で一変したというのだ。
原発事故が地域の暮らしを一瞬で崩壊させたことを、被災地をおとずれて目の当たりにし、「原発は止めなきゃならん」と胸に刻んだと言う。
長姉を原爆後遺症で亡くしたことにも思いをはせた。
そこで思い出すのが小泉純一郎だ。
おなじく大震災をきっかけに原発容認から脱原発に転じ、いまではそればかり唱えている。
しかし小泉純一郎はあの当時、被災地など、ただの一度も訪れていないに違いない。
頭の中で考えた、政局がらみの変節に違いない。
果たして小泉純一郎は亀井の脱原発をどう見ているのだろう。
そう思った朝日の記者が小泉にコメントを求めたという。
小泉は、こんなコメントを返してきたという。
「江戸時代の儒学者佐藤一斎は『老いて学べば死して朽ちず』と言ったが、80歳過ぎてもパワー十分の亀井さん。脱原発、太陽光発電事業に挑戦していけば、老いてますます盛んになるであろう。がんばってください。期待しています」
それを朝日の記者が亀井に伝えたら、亀井はこう言い放ったという。
「純ちゃんは口だけ。主張しているだけではダメだよ。俺は実際に挑戦する。それが二人の違いさ」
そういえば亀井は2001年の自民党総裁選で小泉純一郎と戦って小泉に敗れている。
小泉の対米従属の郵政民営化を批判して自民党を飛び出し、ホリエモンという刺客を送られて戦っている。
同時代を同じ自民党で過ごした政治家の、かくも大きな違いである(了)
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