まず、次の言葉を黙ってお読みいただきたい。
「・・・ついに土砂の投入が始まった。ひとたび土砂が入った海は、
もう元には戻せない。そう、辺野古の基地建設はこれで既成事実になっ
たということである。だからだろう、その翌日、安倍首相はプライベート
で趣味のゴルフを楽しむ余裕を見せた。
埋め立て工事現場で喉をからして抗議の声を上げる住民たちと、嬉々と
クラブを振る首相と・・・この何とも言えない政治の不実、地域社会の分
断の光景に、沖縄に特段の縁はない一物書きが悄然となる・・・いまとい
う時代のありように全身が嫌悪を訴える。この抜き差しならない空気はい
ったい何なのか、同時代を生きる日本人として、一つでも二つでも言葉を
探さずにはいられない・・・」
この文章は、発売中のサンデー毎日新春合併号の冒頭に掲載された、
高村薫氏の「サンデー時評」の書き出しの言葉である。
「一物書き」を「一国民」と置き換えてみると、多くの国民が共有でき
る文章になるに違いない。
まもなく今年は終わり、すべてが年末年始の休みに入る。
そして年明けにはすぐに政局が始まる。
安倍・菅暴政の攻勢が始まり、バラバラの野党はさらにバラバラになる。
しかし、国民の多くがこの高村薫氏の言葉を共有する限り、安倍・菅
暴政コンビの前途は安泰ではいられない。
それどころか、危機の連続とごまかしの連続になるだろう。
その先にあるのは、この国の政治の更なる混迷だ。
しかし、どうせ混迷が避けられないなら、中途半端な混迷ではなく、
これ以上ない混迷になったほうがいい。
耐えられないほどの混迷に国民は怒り、目覚め、その国民が本物の政治
をつくる。
既存の、政党、政治家が一掃され、新たな政党、政治家が登場する。
そういう新年になる事を私は期待する。
初夢でないことを願うばかりである(了)
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