新党憲法9条

憲法9条それは希望

新党憲法9条の理論的支柱となる本が出版された

 2018年10月19日第一刷の「日本安保体制史」(吉次公介著 岩波新書ー新赤版)という本が出た。

 たまたま本屋で見つけた私はその本を買い求めて一気に読了した。

 これは国民必読の書だ。

 そして、その内容は、なぜいまこの国の政治に新党憲法9条なるものが必要なのか。その事を見事に教えてくれている。

 まさしく新党憲法9条の理論的支柱となる本だ。

 この本は、米国の占領下でサンフランシスコ講和条約と同時に署名された日米安保条約の密約性と、冷戦下にあって共産主義の脅威から日本を守るという本来の日米安保条約が、いつの間にか国民の知らない間に米国の戦争に加担する日米軍事同盟になし崩し的に変貌してしまった事を、公開情報の積み重ねで、誰もがわかるように書いている。

 だから説得力があるのだ。

 そして著者自らが認めているように、戦後政治のイデオロギー対立の安保論議から一線を画し、平和国家の理念と日米協調がどう両立するのか、しないのか、読者に問いかけるために書かれた本である。

 まさしく新党憲法9条の目的がそれである。

 そしてこの本が教えてくれることは、なぜ日米安保条約の評価について国民の間で一大論争となっていたものが、今日では多くの国民が日米安保容認になってしまったのか、その大きな理由が、村山党首の時の社会党が自民党に誘われて政権に入り、村山首相が日米安保を容認してしまったからだと書いている。

 その通りなのだ。

 日米安保を認めた社会党が、あるいは民主党に、あるいは社民党に、そしてあるいは新社会党に分裂し、そしていまや消滅しつつある。

 いまや日米安保に異を唱える政党が日本共産党だけになった。

 ひとり日本共産党だけが日米安保反対を唱える限り日本国民の間に広がらない。

 しかもその日本共産党さえも、連立政権重視に走って日米安保反対を隠すようになった。

 これでは国民の多数が日米容認になるのも無理はない。

 そして日米安保論争がこの国の政治から消えたということは、もはや野党はこの国の政治に不要になった事を意味する。

 政権交代が起こらなくなるのも無理はない。

 著者の吉次公介氏は最後に読者にこう問いかける。

 日本の安全保障政策には様々な選択肢がある。その十分な議論が日本国民の間で起こらない限り、このまま行けば日米安保体制は存続し、米軍の駐留は続くと。

 しかし、それは取りも直さず、日本を守るための在日米軍から、米国
の為の在日米軍になった事を認める事であると。

 それでいいのか。

 著者の吉次氏は最後にそう国民に問いかけているのだ。

 まさしく新党憲法9条の問いかけと同じだ。

 しかし、一つだけ、「日米安保体制史」の著者と新党憲法9条代表の
私の違いがある。

 それは「日米安保体制史」の著者が、日米安保体制の是非について自らの判断を明確にすることなく、その判断を国民に委ねているのに対し、新党憲法9条代表の私は、国民に答えを提示しているところだ。

 なし崩し的に日米軍事同盟に変貌してしまった日米安保条約は、もは
や憲法9条と両立する事はあり得なくなった。
 
 ならば憲法9条と矛盾する日米安保体制に終止符を打ち、憲法9条を
この国の最高の政治理念として、戦後再出発した日本の原点に立ち戻る
べきだと。

 そして、こう書いてみて私は気づいた。

 新党憲法9条は、本当は、安保容認で四分五裂し、そして消滅しよう
としてる社会党が、もう一度日米安保反対で生まれ変わり、再結集する
政党ではないのかと。

 社民党は、日米安保で考えの異なる政党たちと、生き残りの為に野合
するのではなく、本来のこころざしに忠実に、いまこそ生まれ変わって
蘇生する時ではないのかと。

 もしバラバラになって消滅しようとしているかつての社会党とその支
持者たちが、いまこそ新しい社会党として再結集し、日米安保より憲法
9条こそが日本の国是であると訴えるようになれば、私の新党憲法9条
はその時、その役割を終える。

 「日米安保体制史」はその事を私に教えてくれた本である(了)

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