米国の広島・長崎への原爆投下の裏にあった史実を見事に我々に教えてくれた「悪魔の兵器はこうして誕生した」というNHKBSの番組は、国民必見の番組だ。
そう私は強調して、繰り返しこの番組を宣伝して来た。
そうしたら、きのう、それを見た読者のひとりから、あらたな情報提供を受けた。
それは、私が初めて知る、もう一つの衝撃的な史実だ。
その読者に感謝するとともに、他の読者と共有したいと思ってこれを書いている。
「この放送(筆者註:「悪魔の兵器はこうして誕生した」という番組のこと)と対をなすような、アメリカ政府の原爆使用の拡散衝動を告発した放送 が、14年前にNHKで放送されたことをご存じでしょうか?」
こういう書き出しで始まるその読者からのメールの要旨はこうだ。
その番組とは、2004年7月17日のNHKBS「世界を変えた56日間の闘いーボー・グエン・ザップ93歳の証言」という番組で、ボー・グエン・ザップ氏が死去した時、同氏を忍んで2013年12月20日に再放送までされたという。
その中で、次のような驚くべき史実が明らかにされている。
すなわち、ディエンビエンフーの戦いの終結交渉が行われようとしていた1954年4月24日のジュネーブ会議の2日前に、ジョン・フォスター・ダレス米国務長官がフランスを訪問し、外相ジョルジュ・ビドーと話し合った時の事だ。
ダレスは原爆2発の譲渡を申し入れたのに対し、ビドー外相は断った。
その時に次のようなやり取りがあったというのだ。
ダレス 「ディエンビエンフーを救うために原爆を2発差し上げるとした ら、どうでしょう?」
ビドー 「ディエンビエンフーに原爆ですか? そうなったら(フラン ス)駐屯部隊とベトナム人の両方を破滅させることになってしま います。」
このやりとりを、当時フランス外務官僚だったクロード・シェソンが後日次のように証言している。
「答えは簡単でした。原爆を使うという考えをフランスが受け入れることはできなかった。フランスは原則として原爆の使用には反対ではありません。反対だったら自ら原爆は作らないでしょう。しかしベトナムに関しては、原爆を使うというのは解決策にはなりえませんでした。ベトナム人を殲滅させることが目的ではなかったのですから。」
ベトナム戦争の時の話ではない。
ベトナムがフランスから独立しようとした戦争の時の話である。
広島・長崎への原爆投下から10年も経たない時の話である。
ジョン・フォスター・ダレスと言えば、日米安保条約を日本に押しつけ、米国の好きな時に、好きな場所に、好きなだけの米軍を日本に配備すると日本政府に豪語した男だ。
その米国が、日本への原爆投下にとどまらず、ベトナム対して、しかも1発ではなく2発の使用を薦めていたというのだ。
ここに米国と言う国の本質がある。
そしてダレスのような男は今も米国の有力者の中に多数存在する。
この米国の本質を知れば、米国の核の傘に守られるというおまじないが、いかに間違っているか、誰でもわかるだろう。
いまや誰も異を唱えない日米同盟重視の国是が、いかに間違っているかがわかるだろう。
影響力のある誰かが日米同盟の間違いを正面から唱え、国民を目覚めさせなければいけない。
そしてその時は今をおいてない。
誰も言い出さないなら、「新党憲法9条」がそれを訴える(了)
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