きょう7月23日の読売新聞が一面トップでスクープ報道した。
日米開戦前日の1941年12月7日夜、東条英機首相が政府高官に対して開戦について語っていたメモが発見されたというのだ。
そのメモとは、当時の政府高官である湯沢三千男内務次官が書いた便箋5枚のメモであり、東京・神田神保町の古書店主が、交流のあった湯沢氏の遺族から、9年前に入手した遺品の中から見つかったという。
そのメモのポイントは、12月7日の昼に東条が、開戦当日の予定を昭和天皇に説明した時、それまで開戦に反対していた昭和天皇が、「一旦決シタル後(筆者註:12月1日の御前会議)ハ悠々トシテ何等ノ御動揺ナク」との様子だったと述懐しているところである。
そして、その夜東条はこの昭和天皇の「決意」に高揚し、微醺(ほろ酔い)状態で「斯クノ如キ状態ナルガ故ニ既ニ勝ッタ」と発言していたところである。
このメモの歴史的評価は、これから歴史学者によってさまざまな形で下されるだろう。
私は特に保阪正康氏の評価を知りたいと思っている。
彼は東条の家族から、開戦の二日ほど前の夜に、東条が深夜ひとり寝室で皇居に向かって手をついてさめざめと泣いていたという証言を得ていたことを聞き語っていたからである。
あの涙は一体何だったのだろう。
開戦を避けられなかった事について、開戦に反対だった昭和天皇に詫びていたのだろうか。
しかし、開戦前日に開戦当日の予定を昭和天皇に説明したら、その時の昭和天皇はもはや冷静であり、開戦を決意されていた事を知って、安心し、高揚したということなのだろうか。
そう考えればつじつまが合う。
私がこの読売新聞のスクープ記事で注目したのは、編集委員の沖村豪氏が書いている解説記事の次のくだりだ。
「・・・来月(8月)73回目の終戦の日を迎えるが、310万人の犠牲者を生んだ戦争の検証に終わりはない。無謀な日米開戦の前夜、時の指導者が語った言葉を読み解くことは、昭和天皇の思いをよく知る天皇陛下(筆者註:今上天皇)が訴えられる『先の大戦の反省』を深める上でも意義がある」
驚くべき大胆な解説だ。
暗に昭和天皇の戦争責任を認め、その負の遺産を克服すべく天皇陛下は反戦に努められて来た、その事に我々は思いを馳せなければいけないと言っているのだ。
きょうの読売新聞のスクープ記事を読んで、天皇陛下はあたらめて国民に問いかけたいと思われている違ない。
象徴天皇としての自分の務めは、憲法9条に従って二度と戦争を繰り返さないことだと思うが、それでよかったか、国民はどう思うかと。
われわれ国民は、そのお言葉に答えないまま、そして天皇陛下は二度と国民に語りかける機会のないまま、天皇陛下は来年4月末に退位される。
その前に、私は記者会見を開いて、新党憲法9条を掲げて来年の国政選挙に名乗りを上げる事を表明するつもりだ。
お言葉に答えた国民がいたという事を伝えるためにである(了)
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