森友・加計疑惑が同時多発的に起きたばかりの頃、私はこう書いた。
これほどの権力犯罪を野党が追い込む事が出来なければ、とても安倍首相の憲法9条改憲は防げないだろうと。
いま、まさにその通りになろうとしている。
きょう6月23日は沖縄慰霊の日である。
その沖縄慰霊の日にタイミングを合わせるように、沖縄の心を逆なでするようなニュースが二つ立て続けに報道された。
一つは米国務省が公開した核密約に至る交渉記録だ。
米国が沖縄返還の条件として有事の核持ち込みを強く求めていた事がこれではっきりした。
いうまでもなく、核持ち込みは疑惑はこの国の国会の最大の論争点の一つだ。
しかし、これほど重要な米国の機密文書公開であるというのに、メディアはそのニュースを二日遅れで報じている。
あり得ない事だ。
もうひとつは、沖縄の名護市の農家の小屋の窓を米軍の訓練流れ弾が割ったというニュースだ。
これほど深刻な事件が起きたというのに、メディアは一向に大騒ぎしない。
一段の小さな記事ですませ、しかもいつまでたっても真実の追及をしようとしない。
すべては米国の調査任せだ。
そして米国の調査はいつも曖昧なままで終わる。
見ているがいい。
これほど重大な事件が沖縄慰霊の日にあわせて立て続けに起きたというのに、週明けから始まる国会の集中審議では、これらの問題を野党が本気で追及する事は無いだろう。
国会で追及されなければ、すべてはなかったことと同じだ。
私がまだ外務省に入ったばかりの70年代の国会では考えられないことだ。
日米安保条約に関わる審議は国会審議の花形だった。
野党の追及は厳しく、政府の答弁は、少しでも下手なことを言えば、国会が止まり、局長の首が飛び、時の政権を揺るがす事態にまでなった。
ところが、いまはその緊張感は皆無だ。
質問すら行われない。
これを要するに、今のメディアも、そして野党の国会議員も、世代交代が進んで、日米安保を政治の大きなテーマにしなくなったのだ。
これでは安倍首相の憲法9条改憲の野望はとても阻止できない。
もちろん、その裏にある米国の日本占領の野望は微動だにしない。
日本が憲法9条を放棄させられる危機は、いま、すぐ、そこにある(了)
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