ジュネーブで開かれる軍縮会議に合わせて、毎年8月に日本の「高校生平和大使」が出席し、核廃絶を願うスピーチを行って来た。
それを外務省が支援して来た。
ところが今年に限ってそれが見送られたという。
このニュースが流れたのは2日ほど前だ。
しかし、いつまでたってもその本当の理由が報道されない。
きょう8月22日の毎日新聞が検証記事を書いているが、それを見てもわからない。
こんな馬鹿なことはない。
外務省に問い合わせたらすぐにわかるはずだ。
外務省が明言を避けたら高校生に聞けばいい。
それでもわからなければ、国会議員を使って質問主意書で政府に問いただせばいい。
政府は閣議決定を経て答えなければいけない。
そして、そこでウソをつく事は出来ない。
もし外務省が核兵器禁止条約に反対した手前、その方針に反する事をしゃべられてはたまらないと高校生の演説見送りに圧力をかけたとしたら、外務大臣は更迭ものだ。
なぜこの問題をメディアは曖昧にしてやり過ごそうとするのだろう。
日ごろお世話になっている外務省を怒らせたくないと忖度しているとしたら情けない(了)
これは、3月末に愛媛新聞に投稿したものです。☟
【忘れちまった悲しみに 世界の終焉で哀を叫ぶ】
過去を振り返り、愚行の歴史を繰り返させてはならない。残念ながらそう言う自分も、これまでの人生において、何度も同じ過ちを繰り返して来た苦い思い出を持つ。我々はそうした経験から、何時になったら、真の知恵を学べるのだろうか。
日本大使が国連会議で核兵器禁止条約締結に反対するというのだ。わが国は核の脅威を、世界で唯一実体験しているにも拘らず、何という事か。国連安保理常任理事国による核の独占は公然化し、それを世界は受容黙認し不条理な現状に目を背ける。この馬鹿げた大国のエゴイズムに、苦言を呈する資格を持っているはずの日本だが、あろう事にその真逆の路線を選択する。原爆を投下され犠牲となった人々にとり、加害者への恨みは一個人に対してだけでは済まず、加害国及び戦争に関わった全てに向けられてもいくのである。日本の一時期において諸外国に対し甚大な被害を与え、その責任を我々も含め今も問われ続けているのである。自分に直接、関わりのない事に対して、人はとかく鈍感になるものだ。加害者は直ぐに忘却者と成り得るが、被害者はそれとは逆に怨念に蜷局を巻かれ、終生、悟りを開けず執着心という煩悩に苛まれ続けることとなる。「世界の中心で愛を叫ぶ」なんて呑気な事を言っている場合ではない。
これは、核兵器禁止条約が、締結された翌日、毎日新聞に投稿したものです。☟
【高見沢将林日本大使への苦言 世界唯一の被爆国が情けな過ぎる】
3月下旬、高見沢将林日本大使が国連会議で反対表明していた核兵器禁止条約が、昨日締結された。しかし、厳しい現実との乖離は甚だしい。国連安保理常任理事国による核保有独占は公然化し、それを世界は受容黙認し不条理な現状に目を背ける。そうした中でNPT体制の矛盾を突き自国の生き残りを賭けた切り札として、核武装路線を邁進する北朝鮮などの国も増えつつある。ソ連崩壊後、核兵器及び核技術開発に携わる頭脳流出が懸念されて久しい。技管理の杜撰さに乗じて、過激主義を標榜するテロ組織集団による核ジャックも現実味を帯びている。こういうどうしようもない程前途多難な核問題に対し、わが国の置かれた立場は重要であり、世界的に注視される存在でもある。なぜなら核の脅威を、世界で唯一実体験している被爆国だからだ。にも拘らず、何という事か。米国の核の傘下であるとか馬鹿げた核抑止論を主張し続ける大国のエゴイズムに翻弄され、苦言を呈する資格を持っているはずの日本が、あろう事にその真逆の路線を選択する。「世界の中心でノーモア広島と叫び続ける」政府であって欲しい。
このように、この核兵器禁止条約への日本政府の反対表明が、どれ程、世界にショックを与えた事か、計り知れない出来事であったと、僕は、日本政府への怒りを我慢することができませんでした。世界で唯一、核の脅威を生身で実体験した国の政府たる者が、反核の世界の先頭に立って、「ノーモア・広島、長崎」と大声で絶叫すべきところを、よりによって真逆の態度表明をしてしまった。何と言う事でしょう。此の国は、完全に、米帝の核の傘への忖度外交に終始するのみの、ドウシヨウモナイ、糞塗れの、軟弱極まりない、米帝言い成り外交皆無国家なのかと、どれ程、悲嘆に暮れた事か。この時ほど、高見沢日本大使を憾んだ事はありませんでした。彼を憾んだところで、それは高見沢からすると、筋違いだと言われる事は、十分過ぎるほど分かっていたのだが。彼に直接抗議電話の一本でもかけるべき筋合いのものではあったと振り返る。でも、抗議しても、抗議しがいのない相手と分り過ぎていた事が、私を躊躇させたのだ。天木さん、何故、貴方ではなかったのか。高見沢ではなく、もし貴方が日本大使だったら…、と、悔やまれて仕方ありません。
そもそも、安倍政権下における18歳選挙権付与が、怪し過ぎましたよね。世界はこんなの当たり前なんて選挙権年齢引き下げしたけど、一番の狙いは、政治的教養が希薄で、保守右傾化傾向の顕著な若年層の票を、自党へ取り込みたいが為の策でしょう。安倍晋三に及んでは、「笑っていいとも」に出演し、媚びを売る始末。こんな番組に出て、パフォーマンスに現を抜かしていた数年前の時点では、加計孝太郎とお互い「大笑いしてもいい友」関係で、阿保な国民からカネ巻き上げる為の算段に、余念がなかったんでしょうね。
18歳で選挙権を与えておきながら、高校生の正当な活動に圧力をかけるなら、民主主義の国ではない。教育界も危機を感じてほしい。日本はあらゆることで壊れている。
核兵器禁止条約への日本政府の余りにも情けな過ぎる対応に関しては、私も、以前、上記の様な新聞投稿をしました。