世界陸上選手権の100メートル決勝を見てこれを書いている。
ニュースを見ようと思ってテレビをつけたら偶然にもドラマに出くわした。
ガトリンが優勝してボルトが3位に終わった瞬間だった。
ボルトの引退試合という最後のチャンスにボルトに勝ったガトリンは、ゴールした直後、グラウンドにひれ伏して泣いた。
これまでの努力が報われたのだ。
ひとは皆、その結果がどうであれ、苦しみぬいた後には必ず涙する。
力を尽くした証である。
一方のボルトは悪びれることなく笑顔で観衆に応えてグランドを回っていた。
ファンと笑顔で写真に納まり、インタビューに快く答えていた。
引退試合を勝利で飾れなかった事が残念でないはずはない。
しかし、その悔しさを微塵も感じさせず、終始笑顔を見せていた。
やせ我慢だろうか。
違うと思う。
どのような強者であっても、敗れる時は必ず来る。
ボルトの見せた笑顔は、ボルトが真の強者であるからこそ見せる事の出来た、本当の笑顔だ。
真の強者の証だ。
人はなぜスポーツ観戦が好きなのだろう。
おそらくそこにはウソがないからだ。
人間の限界に挑戦する感動を共有できるからだ。
ひるがえっていま我々が目にしている政治はどうか。
ウソだらけだ。
感動の微塵もない。
スポーツを競い合う事が出来るのも、我々がそれを見て感動できるのも、すべて平和であるからだ。
平和は人間が生きる上で絶対的に必要なものだ。
平和を希求する究極の安全保障政策が憲法9条である。
しかし、政治は、その憲法9条でさえも政局にしている。
世界で真っ先にそれを手に入れたのに、捨てようとする安倍首相はそれだけで政治家失格だが、本気で憲法9条を守ろうとせず、憲法9条まで政局にしている民進党の政治家たちも話にならない。
政治はスポーツにくらべて実にくだらないものだ。
いや、スポーツだけではない。
学問であれ、芸術であれ、ビジネスであれ、趣味の活動であれ、娯楽であれ、いや、我々の凡庸な日常生活の繰り返しでさえも、政局に明け暮れるいまの政治よりは、はるかに意味のある営みだ。
いま我々が目にしている政治など、税金を使ってやらせる価値はない。
政治は新党憲法9条ひとつでいい。
世界陸上選手権の100メートル決勝を見て、あらためてその思いを強くした(了)
スポーツ外交は必要不可欠です。嘗ての「ピンポン」外交は対中関係において必須でした。スポーツは政治とは無縁だなんて、言ってるところではあ〜りません。戦争を未然に防ぐためなら、ありとあらゆる手段を選ばない。そうした点でスポーツは、カネ目に次いで有効な手段です。バスケのロットマン、プロレスの猪木などは、力のない下らぬ外交官や下衆政治家より、マシな外交ツールとして有用です。
庶民は、安心して政治を託したいと常に願っています。しかし今は、うっかりしていると、日本と国民をたいへんな方向に持っていかれます。
内閣改造の目的は、安部政権の目的を確実にするためです。
共謀罪を設立させた法務大臣、法務省の次の目標は国民総監視に向けて:、戸籍にマイナンバー導入で、今は市町村単位の戸籍管理を、国に一元化するとして日本に拠点を2箇所に設置する案を2014年からの有識者の研究者たちが、8月1日に法制審議会のもとになる最終報告をまとめた。
戸籍を必要とするものの手続きが簡素化するというが、個人情報の漏洩があった時は、とてつもなく拡大する。あらゆることを組み込ませれば、オフィスで国民全てを監視するシステムができる。それは米国の情報局とも容易につながる。
安部政権が今までも無理筋でとうしてきた法案の正体見たり。
まともな政治家なら、日本の危機が迫っていると痛切に感じてほしい。日本の政治を日本人が決められない事態も起こりうる想定は容易だ。
日本をどういう国にするかに思いをはせる時、新党憲法9条の存在があってよかったと思う。