新党憲法9条

憲法9条それは希望

共産党と社民党は憲法9条もとに結集する歴史的時だ(続)

 標記の昨日のブログで私は書いた。

 「共産党が政権についてこそ、本当の人づくり革命なんじゃないか」と小池晃共産党書記局長が記者会見で語ったらしいが、それは傲慢なのではないかと。

 すかさず読者の一人から次のようなメールいただいた。

 以下引用開始

 「革命」と言う言葉は、自分たちだけが正しい使い方を知っており、自分たちだけが使う資格があると言いたいのだと受け取りました。その傲慢さは驚きです。「革命」とは古代中国で王朝を倒して別の王朝を立てることでした。階級云々は共産党が自分勝手にマルクス主義風に解釈しただけです。
 かつて原水爆禁止運動において、その運動する資格があるのは自分たちだけだと言って、社会党系の運動を原爆そのもの以上に敵視し、原水爆禁止運動を党利党略によって崩壊させた歴史があります。何事によらず天上天下唯我独尊。世界の解釈においてマルクス主義を信奉している限り必ずそうなります。
 憲法九条についても、その党利党略の轍を踏むことは必定です。もし「新党憲法9条」が議員を出せるほどに成長したときには、九条を守る運動に二つはいらない、自分たち以外の運動は自分たちの議席数を減らすことに他ならないと言い出すことは、必定です。
 いまこの党を批判的に論評すると、倍返しで「反共攻撃をした」と目くじらをたてます。そうすると全党員ばかりか赤旗読者も「新党憲法9条」を敵視するようになります。運動は分裂します。対策は、一切この党のことについては言及しないことです。ニコニコして無視することです。

                          引用終わり

 この読者には助言に感謝するとともに、共産党と敵対するつもりはなく、十分に注意して事を運ぶつもりであると返答した。

 それは新党憲法9条構想を考えついた時からの、私の正直な思いである。

 私が新党憲法9条をつくるのではない。

 憲法9条の声なき声に命じられて、新党憲法9条をつくるのである。

 憲法9条を守れと唱える者が偉いのではない。

 憲法9条が偉大なのだ。

 その偉大な憲法9条がここまでないがしろにされている時に、憲法9条のもとに結束出来ないようでは護憲を語る資格はないだろう。

 ましてや護憲を自らの政党の専売特許のように利用しようとしているなら天の唾する事になるだろう。

 憲法9条は、憲法9条を信じる国民すべてが等しく共有するものである。

 そうでなければ憲法9条は守れない(了)

コメント & トラックバック

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  1. 共産党なんて、ネーミングからしてシーラカンスか三葉虫か。そんな何も変えようとしない政党に、それこそ、「革命」という言葉を、軽々しく使うななんて言われたくない。ネーミングをまず変える事。それが、今の日本共産党が、出来る事ぐらいかな。否、これが出来れば、これこそ、革命的ですぞ。こな事しかコメントできない、させてくれないくらい、悲し過ぎる時代錯誤的状況になってる共産党に気が付かない党員の皆様、その鈍感力が、党名変更すらできぬ党執行部をのさばらせているのです。党員各人の精神構造を変革する革命が必要です。今の日本共産党を活性化させるための第一は、正しく、マルクスの言う血を流す「暴力」革命を覚悟出来るかと、自問自答することでしょうね。

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