きょう8月1日の毎日新聞「記者の目」というオピニオン欄で、自ら防衛大卒出身の記者であることを明らかにした上で、滝野隆浩・社会部編集委員が書いている。
直接話した自衛隊幹部約20人のほぼ全員が、加計問題で政権に反旗を翻した文科省の前川喜平前事務次官を、口を極めて批判しているという。
日ごろ穏やかな元最高幹部が「あいつだけは許せない」と色をなして罵ったこともあったという。
これは衝撃的な事だ。
しかし、滝野氏が書くその理由がもっと衝撃的だ。
創設当初から「違憲の存在」と批判されてきた自衛官は、法令順守と政治問題回避を胸に刻み込んできた。どんなに現場で不都合なことがあっても沈黙してきた。自衛隊というのは、政治の動向に過敏に反応する巨大な「そんたく組織」だといっていい。だから彼らには政権批判を堂々とする前川氏が許せないのだと、滝野氏は書いている。
しかし、それだけでは、なぜ自衛隊はそんなに前川氏に怒るのかについて、今一つわからない。
そう思って読み進めて行くと、その答えは、この事件をきっかけに自衛隊海外派遣の本質を議論すべき時だという滝野氏の論説の中にあることが分かった。
滝野氏の論説の要旨は次の通りだ。
すなわち、南スーダン派遣について現場には相当不満が高まっていたという。派遣先のジュバでは訓練でしか見た事のない戦車の砲弾が飛び、監視モニターを通して殺戮の現場を見て心のダメージを受けた者もいる。家族に遺書を書いた隊員もいた。今回の事件は現場の過酷な状況と国内政治の間にズレがあり、陸自としては、そのことを国民に知ってもらいたかったのではないか。「そんたく」して封印されるはずの日報を、陸自が沈黙を破った理由はそこにあると滝野氏は書いている。
そして滝野氏はこう提言している。
停戦監視が主任務だった国連PKOは時代とともに変容してきた。これまでよりはるかに危険な任務になるにもかかわらず、国会での議論を回避するために「リスクは変わらない」という姿勢を政府は変えていない。つまり政治による現場の声の「封印」が続いている。この機会に自家隊の海外派遣のあり方を考えるべきだと。
ならば、自衛隊幹部と、その声を代弁する滝野氏に問う。
自衛隊は、いまこそ国民に認知される形で重装備し、海外派遣で殺し、殺される自衛隊になってもいいのか。
そうではないだろう。
かつてイラク戦争でサマワに派遣される前夜、若い自衛官たちが、居酒屋で壮行会を開いて騒いでいた。
それを横目に見た定年前の自衛官が、「戦場に行く事無く自衛官の任務をまっとうできた。そんな自分を誇りに思う」とつぶやいたというエピソードが、当時の週刊誌で取り上げられたことがあった。
まさしく問われているのは自衛隊幹部だ。
前川次官に対する激しい怒りは、その勇気を持てない自らに対する怒りの裏返しではないのか。
今こそ自衛隊は沈黙を破る勇気を持ったらどうか。
国際貢献という美名の下に日本とは関係のない戦地に赴くことを是とするのか、それとも専守防衛に徹することこそ自衛隊の任務であると信じるのか。
答えはどちらでもいい。
自らの考えを明らかにすることだ。
前川氏を批判する前に、滝野記者も自衛隊幹部も、自らの意見を明らかにする勇気を持つべきである(了)
その記事を私は読んでいませんが滝野隆浩氏が同期から聞いたのでしたら佐官クラスではなく将官クラスなのでしょう。
毎日新聞に「直接話した自衛隊幹部約20人のほぼ全員が、加計問題で政権に反旗を翻した文科省の前川喜平前事務次官を、口を極めて批判している。」
こう表記されると陸自全体180,000人がそう思っておられると毎日新聞読者は勘違いしてしまわないかが心配です。
その辺に違和感というか心配を感じます。
「前川氏を批判する前に、滝野記者も自衛隊幹部も、自らの意見を明らかにする勇気を持つべきである」とは仰られても組織に属している人にそれを求めるのは酷だと思います。立場(収入)を失ってしまいますから。
ただ、退職等で組織外に出られた方々は声を大にして是非ともお願いしたいものです。