新党憲法9条

憲法9条それは希望

新党憲法9条は歴史的要請である事を認めた半藤・保阪対談

 発売中のサンデー毎日(7月30日号)に、ジャーナリスト青木理氏の司会で、半藤一利氏と保阪正康氏という二人の昭和史の専門家が対談している。

 それを読んで私は、「新党憲法9条は歴史的要請である」という私の確信をさらに揺ぎないものにした。

 たとえば保阪氏はこう語っている。

 「・・・軍隊についての無知は左右ともです。左派は、日本国憲法を平和憲法と読んだ時から錯誤が始まった。本来は非軍事的憲法と呼ぶべきで、それを平和憲法として実現していくためには、努力と検証と新しい論理の構築が必要です。しかし左派は、軍事を検証することは反平和的であるという奇妙な言論空間を生んでしまった。右派も同様。私は反対だけれども、自衛隊を国防軍にするなら、軍事法廷や命令権など具体的な議論を立てて行くべきだ。しかし、自衛隊を軍隊としてとらえることをためらい・・・具体的議論に踏み出せない・・・」

 この保阪氏の言葉が問いかけている事は、安倍首相が自衛隊明記だけのゴマカシ改憲を強行しようとしている今こそ、「改憲論議は安全保障政策と結びつけて議論しないといけない」と言う事である。

 新党憲法9条は、平和憲法の重要性を訴えるだけの政党ではない。(私は保阪氏とは違って日本国憲法こそ平和憲法であり、そう呼称することに何の問題もなく、むしろそう呼ぶべきであると思う)

 憲法9条こそ、日本が世界に誇れる最善、最強の安全保障政策である事を堂々と主張する政党である(左派に欠けているものがあるとすれば、憲法9条を生かした安保政策なのである)。

 たとえば保阪氏はこう語り、それを受けて半藤氏はこう語っている。

 保阪 「・・・昨年8月8日に発表された天皇のご発言は、ある意味で革命的なメッセージでした。冒頭に『私が個人として』と、最後に『国民の理解を得られる事を切に願っています』とあった。天皇は憲法上、政治的発言はできないとされていますが、このメッセージはその範疇にないと告白されていたのです・・・」

 半藤 「・・・まさに、わたしたちは建国という意識がなかったことを反省しなければいけない。敗戦後、立憲君主国から民主主義国になったものの、昭和はつまりは『民主主義君主国』みたいなもので、昭和天皇自身にも象徴天皇としての認識はさほどなかったと思う。が、今の天皇は、戦後の日本国を『立憲象徴天皇国』ととらえ、その新しい国づくりをご自身で始めた。これを続けていきたいと思っていたところに、安倍政権が戦前回帰を訴え、帝国主義的な天皇制称揚を始めた。それに今上天皇が危機を覚えるのは当然です・・・」

 保阪、半藤両氏がいう、天皇が目指し、そして、それが正しいか、国民に問いかけられた象徴天皇像とは、日本国と日本国民の統合の象徴として平和憲法を守る天皇であるべきだという天皇像であることはいうまでもない。

 残念ながら、誰もその問いかけに応えることなく、今上天皇の退位が決まり、安倍首相より先に退位させられようとしている。

 さぞかし無念に違いない。

 憲法9条を国是とすることを公約に掲げる新党憲法9条こそ、今上天皇の問いかけに正面から応える政党なのである。

 何としてでも今上天皇の退位までに実現しなくてはいけない(了)

 

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