新党憲法9条

憲法9条それは希望

新党憲法9条構想の正しさを証明してくれた「トランプ疲れ」

 きのう6月25日の読売新聞に興味深い記事を見つけた。

 それは吉池亮ニューヨーク支局長が書いた「ワールドビュー」というコラムで、米国民はトランプ疲れで政治に無関心になりつつある、という記事だ。

 その要旨はこうだ。

 トランプ氏を巡って保守層とリベラル層との間の埋めがたい分断がますます広がる中で、連日繰り広げられる洪水のようなトランプ報道に、政権に批判的なリベラル層だけでなく、トランプ支持者からもウンザリ感が出始めたという。

 最近は、通勤時に流されるニュースは、動物の話題や地域の行事など、ほのぼのとしたニュースが多くなり、その理由は、「朝から政治の話でうんざりさせてほしくない」という視聴者の声が増えたからだという。

 トランプ氏が駆使するツイッターやフェイスブックに嫌気がさして、利用を止めたり、アカウントを消す動きまで出始めて、ついに「(政治に)関わらないことのしあわせ」を呼びかける著名コラムニストの意見まで出始めたという。

 吉池氏が教えてくれたこの米国民の政治離れは注目すべき動きである。

 なぜなら米国で起きる事は必ず遅れて日本でも起きるからだ。

 まさしく、私が指摘したいるように、政治に明け暮れるのは普通の国民からすればつまらない事だと皆が気づく時が日本にも来る。

 政治なんて、政治家や政治評論家たちが、自分たちの都合や利害で、あたかも重要な事だと言わんばかりに騒いでいるだけなのだ。

 しかし、吉池支局長は、この米国に見られるトランプ疲れの現象を書いた後で、最後にこう締めくくっている。

 国民が政治に背を向けることは政治家に白紙委任したと同じことになる。

 これではトランプ時代の米国がますます先行き不透明になると。

 その通りである。

 政治はまともな国民が四六時中関わっているものではないが、誰かが国民に代って政治に関わり、政治を監視しないと、政治家たちのやりたい放題になる。

 だから政治は、たとえ少数であっても、真のノブリス・オブリージュが、国民に代って、無私、献身の精神で関わる事が出来れば、722名ほどの税金泥棒の政治家によって繰り広げられている今の政治より、はるかに良くなるに違いない。

 新党憲法9条構想は、まさしくトランプ疲れの米国民と、それを見た吉池亮ニューヨーク支局長の懸念の双方の要求に応じるものなのである。

 そんな政治など出来っこないと一蹴する者がいたとすれば、彼らはすでに政治屋に成り下がっている証拠である(了) 

 

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