古今東西、クーデターと言えば、反体制側が法秩序を否定して権力を奪い取る事を意味する。
しかし、いま安倍政権下で猛烈な勢いで進行しているのは、権力側による法秩序の破壊であり、権力側による法秩序の私物化である。
権力側によるクーデターなのだ。
きょう5月13日の読売新聞を見てつくづくそう思った。
溝口烈と言う名の東京本社編集局長が書いている。
読売新聞の安倍首相独占インタビューは報道の重要な使命であると。
「国政に関する報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき、重要な判断資料を提供し、いわゆる国民の知る権利に奉仕するものである」という、最高裁の判例をつまみ食いして、安倍首相改憲宣言を代わりに国民に語った事を、臆面もなく正当化する論説を掲げている。
極めつけは「安倍政権と皇室④」連載特集記事だ。
そこには、あの天皇のお言葉をめぐって官邸が宮内庁に対して行ってきた圧力の数々を書き連ねた上で、これらは安倍官邸が「宮内庁掌握」に腐心した表れであると書いている。
「宮内庁掌握」という衝撃的な言葉を平然と使っている。
しかも、それを批判的に書くのではなく、元宮内庁職員の言葉を引用し、宮内庁には仕えるべき主人は二人いる、それは宿命だ、とまで書いている。
もちろん、の読売新聞のこれらの記事は、安倍首相の代弁である。
権力側の法秩序の破壊はここに極まれりである。
今この国では恐ろしい事が深く、静かに進んでいる。
しかし、それを阻止する政治勢力は皆無である。
メディアは沈黙したままだ。
国民は救われない(了)
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